怒るというのは大変なエネルギーを使う。
別にそれはいいのだが、感情をむき出しにするというのが僕はちょっと苦手だ。
我に返った時に恥ずかしいというか。これは僕の持つ弱みの一つかなと思っています。
そんなこんなで、怒りそうになる時は、スッと自分から引くんです。
この感じ、伝わるでしょうか。
自分から一歩離れて、第三者的な視点で自分を見るんです。
すると、少なくとも怒りで我をわすれるという事にはならないし、目の前の事がなんだかどうでも良くなってくるというかですね。
まあ皆、こういう事は多かれ少なかれやっていると思うんですけど、意識してやってみると自分の感情の昂ぶりが引いていく様を眺めるのが面白い。
この技を上手く使えるようになるには、多分、幸せになろうと思っちゃダメなんですよね。
人が怒るっていうのは、幸せから遠ざかっていると感じているとき、それに対する拒絶反応として起こるものだと思うのです。
だから、幸せになりたいという気持ちを一旦完全に横におければ、その時、人は怒る理由もなくなってしまうんですね。
まあこの完全に自分を捨て去るっていうのが難しいもので、きっと人生の極意なのだと思います。
このテクニックは焦りや不安にも使えますので、良かったらおのおの方、試して遊んで見られたらと思います。
幸せとは
多分、幸せっていうのはいつも結果にしか過ぎないものだと思うのです。
幸せになりたいと思った瞬間、同時に不幸も一緒に背負い混んでしまう事になります。
なぜならその2つは、ある物事の表と裏の存在であり、表なくして裏は存在せず、その逆もまたありえないからです。
幸せになりたいという気持ちが不幸のはじまりであるという事は実に皮肉なことに思えますが、おうおうにしてこういう事は多いもので、そういう所が面白いものだと感じます。
結局幸せというのは常に結果でしかない。目的にした時、それは不幸も一緒に抱え込む事になるからだ。人は幸も不幸も「差」でしか考える事ができない。ずっと幸せならそれを幸せには思えない。理屈で言えば幸も不幸もほとんど半分ずつであって、結局は0だから、それを楽しめるかは僕ら次第ってことで。
— 920 (@qunyoel) 2016年6月29日
要は、今目の前の事がいかに自分に不利益をなすように見える事であっても、それは自分のやってきたことの結果であり、受け止めるべきで、それでも自分は大丈夫だという事を知っておく事が大切なことだと思うのです。
人生に対する信頼感というか、ですね。
「人間万事塞翁が馬」っていい言葉だなとおもいます。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
相手の為を思って怒れば、それは叱るという事になるようですが、その時は怒っているフリだけで、頭のなかは冷静なはず。
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