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今月もまた映画の日につられてホイホイと映画を見に行くことにした。
「関ヶ原」と「ブレードランナー2049」とどちらにしようか迷ったのだが、結局ブレードランナーを見に行くことにした。
映画のレビューを見ると、アメリカの映画界のおエライさんが「よくぞこの映画を作ってくれた!」とか「監督にオスカー賞を!」などと言ったという景気のいい言葉が並んでいたからだ。
田舎や畳が好きな、牧歌的とも言えるオレだが、未来にはいつも胸をときめかせてしまう。
そうと決まれば飯を食い、風呂で身を清め、いざ愛車ホワイティー号にまたがり家を飛び出た。
先日手に入れたマウンテンパーカーの調子は上々だ。
ほどなくして映画館の前に到着。
ホワイティー号が悪漢の手に渡らぬよう、しっかり施錠して佐世保唯一の映画館「シネマボックス太陽」に入った。
佐世保の映画館
「佐世保の映画館のスクリーンちっちぇー」
シアター内に入った時の最初の感想だった。
これは結構、前の方に座らないとせっかく映画館に来た意味がないんじゃないかと最前列から5列目くらいの席に腰掛けると、映画本番前の予告が始まった。
未だに昭和感をかもし出してくるローカルCMを見て懐かしい気持ちになっていると突如ブザーが鳴りひびきスクリーンの横幅が広がる。
想像以上に横に長くなってしまったスクリーンにとまどい、後ろの方に席を変えようかと思ったが映画は既に始まっており、後の祭りだ。
ブレードランナー2049
最近のVFXとかいう画面加工技術のせいだろうか、とにかく画面が全体的に暗い。
多分、目一杯加工しているけれど加工が面倒くさい細かいところは暗くして誤魔化しているのではないか。
陰鬱な画面の雰囲気によく馴染む、悲しい顔をした主人公がいきなり溜め息をつくが、口を閉じたまま鼻のみで深く呼吸をする主人公の鼻通りの良さに、鼻炎持ちのオレは嫉妬した。
ドローンが高性能になっていたり、3Dホログラムの広告が街中で使われていたり、過密都市の上空を空飛ぶ車が走っていたり、たしかに未来感はあったが、どれもこれもこれまでのSF作品で語り尽くされているようなテクノロジーばかりだった。
ついでにストーリーも人工知能VS人間という構図にお決まりの、作られたものが自我を持って自らのアイデンティティがわからなくなってどうこうというお決まりのものだった。
何しろ作中ずっと暗いし、可哀想だしで、どうして金を払ってこんなもんを見せられにゃならんのだという気持ちになった。
この年になると抑圧だとか悲しみだとか、そういった心の負の側面についてはもう十分なので改めてわざわざ見るのはいやなのである。
いいのか悪いのかわからんがハンス・ジマー氏作曲の音楽もとても怖かった。
終わり方からして続編の出そうなブレードランナー2049であったが、続編ではレプリカントと人類が酒を飲み交わし、宴会のあとに出た排泄物を未来技術で高性能肥料に加工して空中散布、地球にうつくしい自然をとり戻すというようなストーリーでお願いしたい。
新米について
先日お世話になっている方から新米をいただき、炊いて食ったのだが驚くほどにうまい。
新米がうまいとはじめて意識したのは中学生くらいの頃だったろうか。
実家住まいの頃には毎年秋には新米を食えたものだったが、実家を離れてからというもの秋の新米のめぐみにあずかる機会も失われてしまっていた。
顎関節症のオレのあごだが、噛めば噛むほど、あごが外れるほどに新米はうまい。
これまで深く考えてこなかったが、よく刑事ドラマなどで「おい新米!現場に行くぞ!」というようにつかわれる「新参者」である意味の「新米」だが、これはもちもちして若く、食べてしまいたいくらい可愛らしい後輩というニュアンスを秘めているのではなかろうか。
などと思って調べてみると、「新前」がなまったものらしい。
なにしろ新米のうまさは神聖さを感じさせるほどであり、これがあれば最低限生きていくのに困らないし幸せなのでは?と思ったお江戸の人々が米本位制の経済を打ち立ててしまったのもうなづける。
完全食との呼び声も高い米(玄米)は炭水化物の含有量においても優れており、親しめば親しむほどにオレの腹がもちもち度を増していっている気がするのはご愛嬌といえる。
気づけば山の木々も色づきつつあり、天高く、馬も私も肥えゆく秋が更けてきております。
ブレードランナー2049のちょっと前を描いてあるこのアニメのクオリティはすごかったです。
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