さてさて、今回は科学とオカルトは紙一重という内容です。
2重スリット実験
2重スリット実験は僕のような素粒子物理学についてずぶの素人でも知っている、とても有名な量子の世界の実験です。
そもそも量子とはなんなのか。ですが
粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ、このような特殊な存在を、 普通の物質と区別するため、「量子」(quantum) と呼びます。
その「量子」を研究するのが「量子力学」です。 電子は「量子」の代表格です。
参考:量子力学入門:量子とは何か?
という、粒子と波動の両方の振る舞いをする小さな小さなモノなんですが、物質ではなく、ただの振動(周波数)のようなものです。
最初にこの動画を見たのは3年位前なのですが、その当時ものすごい衝撃を受けたのを覚えています。
まだ見たことがない方がいらっしゃれば是非、このものすごい事実に触れてみてください。
どうでしたか?
つまり人類が現在観測できる範囲で、この世界の全てを構成する最も小さなモノ(量子=状態・物質)について、決まった事は何一つ存在しないという事です。
世界の根っこは非論理的であり、それは観測した瞬間、初めてそれがそうであるという事が決定してしまうという事です。
これは「シュレディンガーの猫」という話でよく表現されますが、聡明な方がわかりやすい言葉で書かれている説明が秀逸だったので、お借りしました。
そんなバカなと言いたいかもしれない。
だが、よくよく考えてみると、理屈としては正しい。
だって、観測していないんだから、観測していない物質が、「ここにあるかも、あそこにあるかも」という
「観測される可能性」として存在していると考えても、あながち間違いだと否定はできない。
ただし、誤解して欲しくないのは、量子力学は、けっして「比喩」や「言葉遊び」で、「複数の可能性が、存在する」と言っているのではなく、「それらの可能性が、ホントウに現実に存在している」
と言っていることに注意してほしい。たとえば、2重スリット実験でいえば、観測される前の電子は、「スリットAを通った可能性」と「スリットBを通った可能性」の複数の可能性が同時に存在しており、それらが干渉しあうことで、干渉縞がおきると考えられる。
「干渉」を起こすのだから、この2つの可能性は、本当に『実在している』と言う以外にない。
(だって、実在しなければ、干渉もしないでしょ)で、こういった考えにもとづいて、現代科学では、観測する前の電子は、下図のように、モヤモヤした状態で存在しており、
「位置Aにあるかもしれないし、位置Bにあるかもしれない、位置Cに……」というふうに、すべての可能性が重ね合わさって、同時に存在していると考えている。このように、観測される前のモヤモヤ状態のことを「重ね合わせ状態」 と呼ぶ。
ようするに、観測する前の物質は、
「たくさんの可能性がゴチャゴチャに重なった状態」で存在しているということだ。
そして、観測すると、ゴチャゴチャの中から、ひとつの状態が選択されて、それが観測される。
どの状態が観測されるかは、シュレディンガー方程式(波動関数)で、
確率的に予測することができる
っていうのが、量子力学のすべてである。
以上シュレディンガーの猫 - 哲学的な何か、あと科学とかよりお借りしました。
当然ですが、引用させていただきましたサイトの方がよりわかりやすいです。興味を持たれたかたは是非そちらへ!
・・・という事でですね。
日頃行儀のいいあの子もひと目のないところでは何やってるかわからないという事ですね(笑)
という締めかたではあんまりなので、もうちょっと続けたいと思います。
自分はどこまでが自分なのか
さて、いよいよワケがわからなくなって参りました。
まずそもそも量子というのは全ての物質の根源的なモノ(物質ではない、振動)です。
(これは本来的には質量がないという意味で、後天的には質量を獲得するようです)
物質の最小単位は「原子」ですが、これは複数の量子(陽子と中性子(原子核)と電子)によって構成されています。
これは究極的に言えばもともと宇宙は質量(重さ)のない「実在のないモノ」で構成されているという事です。
生き物も生きていない物も、有機物、無機物、全てです。
くわえて、例えば現代の観測技術では何もない様に見える空間に、突如として量子が出現する事例があります。この事を対生成と言うようです。
対生成 - Wikipedia(難しい)
量子の振る舞いの確率に対して、意思の力によって影響を与える事ができるようだという研究もあるようです。
面白くなってきましたが、ここから先はもう科学の範疇の外です。
これ以上先の事はまだ誰もわかっていないはずなので論じても仕方がないところであります。
科学はある程度の事実の担保をしてはくれますが、まだまだ万能ではありません。
さてしかし僕はこう考えます。
もともと量子によって形作られた我々は、そもそも振動だけの存在なのです。
そして量子由来である我々はまた、量子に影響を与える事ができるものだと思います。
多分、意思のちからというのは我々が思っている以上に大きなものなのではないでしょうか。それこそ、世界をまるっと変えうるほどに。
という事で、最近見た「引き寄せの法則」という本に書いてあったオカルトな内容も、ありえない事とは言えないなと思った次第です。
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多分、世界は自分がこうだと思った時に、その形に固定化されるものなのです。
少なくとも僕は、自分の人生を振り返って考えてみると、やっぱり自分の思った通りの場所に今立っている気がします。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
ここからは完全に空想の話ですが、僕は宇宙というモノは瞬間瞬間で何個も並列に枝分かれして進んでいるような気がするんですよね。
今いる世界の隣には、あの人がまだ元気で生きている世界も同時に存在している様な気がします。
こんな途方もない事を考えさせてくれるのが宇宙の懐の深いところですね。
それではまた~。
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