「これには価値がある。」「これには価値がない。」
ちょっとドラマチックに「価値がないものなんかない」?
人間社会を生きていると、たびたび価値という言葉を耳にするけど、ものによってあったりなかったり、増えたり減ったり。
価値の正体ってなんなんでしょう。
僕は、価値とは、
それを求める人の数
の事だと思います。
価値の正体は数だ
結構長いこと僕自身勘違いしていたのですが、価値とは機能とか性能ではないんですよね。
つまり、これは何々が出来るから価値がある。という話じゃない。
例えば、大量のジャムパンのジャムの塗られた面を下に、次々と床に落としていく機械があったとして。
しかもそれは、1秒の間に10枚のパンを確実に処理できる高性能だったとして。
それは凄い性能なのかも知れないけど、価値は無いわけです。
なぜなら普通、人々はその機械を欲しがらないから。
その機械の開発にどれだけ苦労やお金をかけたからと言っても売れない(=無価値)です。
でも逆に、例え鑑賞する事しかできないキラキラ光る石であっても、それを欲しがる人が多ければ、そこには価値が生まれるのですね。
そして、そのもの自体の数に対して、求める人が多ければ多いほど、それには価値があるという事になります。
ここで言う価値というのはもちろん、「社会的価値」の話ですね。
これは、モノにも人にも言えることです。
自分の認める価値について
逆に、自分だけの価値というものがあると思います。
人々はそれぞれ、日々何かしら成長をしていると思いますが、その成長の方向性は、その人の価値観に沿うものであると思います。
ただ、自分が認める価値と世間の求める価値というのが大きく違っていると、先行きにギャンブル的要素が強くなってきます。
つまり、かなり頭抜けていたり、運が良かったりしない限り、そこに社会的価値が生まれにくいわけですね。
なのでまあ、ある程度自分が飯を食おうと思っている市場の、それを求める人の数を計算しておくというのは実は、結構大切な事なんじゃないかなと思う昨今です。
価値を確保したいと思う時、どれくらいの人がそれを欲しがるのか、というのが重要
という事ですね。
こういうのは打算的だと言われるのかも知れませんが、
計算できる範囲の事はやったほうがいいに決まってるんですよね。
逆に、どうあがいても計算できないものっていうのもありますから。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
「何を当たり前のことを」と思われているだろうなあと思いつつ、実際のところ僕はこれまであまりこういう事を意識して生きていなかったので、もうちょっと考えてみようと思って書いてみました。
ビットコイン(暗号通貨)が最近は面白いですね。
僕もわずかながら保有していますが、物質としては存在していないにも関わらず、そこに価値が付加されてゆく様子は興味深いです。
価値とは、それを求める人が居るならば、形すら必要がないということですね。
近々、暗号通貨についても書きたいと思っています。
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