僕は、宗教それ自身にはあまり興味がありません。
ただ、そこで教えられている精神性について「良いことを言っているな」というのはわかります。
ちなみに僕自身はカトリック信者です。
祖父母の代か、それ以前からカトリック信者なので僕はほぼ自動的にカトリック教徒になりました。
あまりにも近すぎてカトリックの事がよく分かっていないカトリック信者でした。
そんなこんなで20代の頃は神様の事、半信半疑で過ごして居ましたが、今はその存在を強く心から信じています。
ちょっと話は違うのですが、先日、面白い話を聞きました。
肩を叩かれた友人
家の解体などを請け負う仕事をしている友達の話なのですが、最近は高齢化社会の影響か、年老いた一人住まいの老人が住んでいる家を引き払い、しかし本人では家財道具一式をどうしようもないのでまとめて壊してゴミとして捨てるという事があるらしいです。
そんな家をある日受け持った彼が、最後に土間に出来た昔ながらのカマドの辺りを整理しようとしたところ、後ろから肩を叩かれたらしいです。
他の作業員はみんな外で作業をしていたので、誰も自分の肩を叩くはずがない状況。
彼は急いで他の作業員の居る場所に合流したらしいです。
今の様にボタンひとつで火をつける事の出来なかった時代、人は必死で火をつけて、それを絶やさないようにしながら家族の為に料理を作ったわけで。
カマドというのは人の想いが宿りやすい場所であるらしいという事を彼は語っていました。
彼がそんな嘘をつくメリットなんてひとつもないし、嘘をつくような人間ではないので、本当の事なのだと思います。
まあ、肩に何か落ちてきたんじゃないの?なんて疑う方法はいくらでもありますが、僕はなんとなく、こういう事を信じてしまうのです。
科学がすべてだろうか
また、僕達の宇宙の始まりは大爆発によってなされたらしいですが、その爆発を起こしたのは何でしょうか。
物質であるとすれば、その物質を産んだのは何でしょうか。その物質を産んだのは?
この様に永遠に遡ることができない物質の科学という物には必ず限界があります。
僕の脳みそは僕が考える通りに手足を動かす事ができます。僕の精神は物質である僕の手足を動かす事ができます。
科学は物質の因果を探るものですが、その物質の因果の中に精神が介入する事は、本当にないのでしょうか。
僕は、一番最初の「始まり」をもたらしたものは精神=神であるのではないかなあと考えています。
なんてまあ、こちらの宗教は科学であるのページからの受け売りなんですけどね。
この人の書いている事は、いずれも素晴らしいものばかりです。
特に、特殊相対性理論の「光速度不変の法則」の正しい解釈に切り込んだものはすさまじいです。
難しい数式が並んでいて、「読めるワケないな〜」と思っていたんですが、読んでみたら意外と理解できちゃうのは、この著者の力量を物語っていると思います。
興味のある人は是非読んでみてください。興味のある人なら読めばわかると思います。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
あなたの見えるもの全てはあなたの心が映した事象であると考えた時、あなたの持つ心の奥深さに気づく事ができると思います。
それではまた〜♪
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