今見てるぼくの景色は、他人の目を通してみるとまったく別の景色に写るものであろうなあと、写真を撮る時にはいつも考えてしまいます。
できるだけ普遍的と思える写真を撮るのがよいのか、ぼく個人の目線に徹した写真を撮るのがいいのか。
一時期考えたことがありましたが、今となっては考える意味などないという思いに至りました。
ぼく個人の目線なんていうものは、今この一瞬だけのもので、ずっと変わりゆくものだからです。
また普遍的に思えるということも、ぼくという人間のフィルターを通したものである以上、同じく変わりゆくものです。
相対的なぼくからは絶対的なものが生まれることはありえないということですね。
なのでまあ、最近は「みんなからどう見えるだろうか」なんて事は考えず、自分の好きに撮らせてもらっています。
どうしたって無意識のうちに他人からどう見えるかって事は考えてしまいますからね。だからそこに敢えてフォーカスを当てて考えることは無駄だなあと。
自分の今の精一杯で、誰かが生きるようにと願った写真を好きに撮って、それでだめならもうしょうがないなあ、という気持ちです。
諦めるちから
先日、世界陸上のメダリストである為末大さんの「諦める力」という本を読みました。
この人はもともと短距離走を得意とする人で、子供のころは大会でもバンバン勝てていたらしいです。
しかし時間が経ち、自分も周りも成長してゆくにつれ、環境がかわり勝てなくなってしまったそうです。
そして苦渋の決断のとき。
自分の持っているもの、陸上界の環境、全てを冷静に考えたとき、メダルを獲得するためには400mハードルに転向するべきだとして、その道を進む事に決めたそうです。
そして、かれは世界陸上でメダルを手にしました。
感情的には、いままでやってきたことを手放すというのは大変に納得しがたいことだったと思います。
しかし、かれは感情を廃して冷静に論理的に、勝つための戦略をとった結果、メダルを手にするという栄光を手にしたのですね。
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