お金を稼ぐ事は大変な事だという考え方が、僕の中にはある。
大変だとは言うけれども、実のところ具体的に何が大変なのか考えてみた。
すると、どうやら責任とか責任感とかいうものが大変らしいという事に気づいた。
多くのお金が関わってくると、どうやらそれに比例して責任の重さも増すようだ。
なんで多くのお金が関わってくると、責任が重くなるのか。
それは多分、お金というのが人の信用でできているものだからだろう。
お金は、そもそもその成り立ちが信用からであり、さらに人は、信用しているものや人やサービスに、お金を支払うのだ。
お金と信用は切っても切り離せないといえる。
人から信用をかけられるという事は、その信用を裏切らないように、責任感を持って行動をしなければならなくなる。
どうやら、責任のあるところにお金ありというわけだ。
シンプルな話、信用のある人や、責任感のある人の元に、お金は自然と集まってくるようにできているのだろう。
それならば、人は信用を、ひいては責任を求めて生きるべきである。
という事には一理があると思う。これもひとつの道だろう。
ただ、そんなに責任を持ちたくない人だって、ぜんぜん居ていいのだと思う。
重すぎる責任の重圧で、身を持ち崩す人も、きっとたくさんいるしね。
自分が耐えられるだけの責任の重さとよく相談して、稼ぐお金を決めると良いんじゃないかな。
ただ、責任からの自由を求めてお金をあまり稼がなければ、お金を「自由」に使うことは制限されるし、
たくさんのお金を稼ぐと、責任を負わないという「自由」は制限されてしまう。
ちょうど真ん中を行くのが一番いいのは分かっているんだけど、それは鉛筆の尖った方を下にして垂直に立てようとする事に似ているような気がします。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
僕はお金を稼ぐのが好きです。
しかしまだまだ、下手の横好きというやつです。
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