最近、髪が伸びたのでいきつけの美容室に行ってきました。
店内はとてもいい香りで、綺麗なお姉さん達が働いている、とてもいいお店なんですよ。
席に案内されて髪を切ってもらっていると、となりにお婆ちゃんがやってきました。
聞き耳を立てていると、どうやら写真を撮影する前のメイクアップをされておられる様子。
しばらくしてから、お婆ちゃん担当の美容師さんが「できた!綺麗になりましたよー」と言ったので、僕もお婆ちゃんを見てみたんですが。
そしたら本当に綺麗で、お婆ちゃんと目があった僕は思わず「お綺麗ですね。」と声に出してしまいました。
そしたらお婆ちゃんは「はずかしかあああ」と頬を赤らめて目を伏せてしまいました。
「あれ?」と思った僕は、もう一度「いや、本当にお綺麗だと思います。」と言いました。
するとお婆ちゃんは「もういわんでえ〜」と、すっかり照れてしまわれました。
なぜ人は照れるんだろう。
例えば、人って照れると普段のパフォーマンスが出ないじゃないですか。
壇上に上がった人が、顔を真っ赤にして上手くセリフを言えないシーンとかイメージできると思うんですが。
加えて、これを「照れ」と同列に語って良いのか、自分の中ではちょっと未消化なんですけど。
スケボーの初心者がスケートパークとかにやってきても、既に上手い人たちに混ざっての練習を、あまりしたがらない人が多いんですよね。
理由はわかるんですよ。僕もそうだったように、まだそんなに上手じゃない自分が滑ってるのを、既に上手な人に見られるのが恥ずかしい気がするんです。
でもそれって、スケボーが上手くなりたいのに、そういう行動だったとしたら遠回りじゃないですか。
上手い人と混ざって滑る事で、良いところを盗めたり、悪いところを指摘してもらえたりするわけで、そっちの方が早く上手くなる確率たかい訳です。
不思議ですよね、目的と遠ざかる事をやりたくなってしまうのは何故か。
それで、なんの為に「照れる」という感情(?)が存在するのか。って考えてみたんです。
そうしたら驚いた事が判明しました。
照れる事は一種のパニック
友達と話してみたんですけど、彼が言うには一種のパニックなんじゃないかと。
例えば、Windowsパソコンでの動作が重くなって行って、ついには反応なくなった後に突然ブルースクリーンが出て電源が落ちる事ありますよね。
ああいう現象を、カーネルパニックと呼ぶ事があります。
これが、人間の「照れ」と大体同じ仕組みなんじゃないかと。
照れる事でパフォーマンスが落ちて精神的な悪循環の後、最悪の場合失神に至るという。
照れるメリット、何かしらあるとは思うんですけどね、「奥ゆかしい」とか。
事実、僕は照れて赤くなるお婆ちゃんを見て、「可愛い人だな」って思ったんです。
照れには2種類あるのか
①緊張する(ストレスがかかる)→②照れる(動きがおかしくなる)→③恥ずかしい→①(以下ループ)
の仕組みを避ける為に、人はなるべく照れるところに身を置かないようにしたがると思うんですが。
例えば、壇上に立った時に起こる「照れ」は、自分の気持ちではどうしようもない物かも知れません。
しかし、自分が何を伝えたいのかという本来の目的を思い出せば、その時やる事はしっかり読んで伝える事が必要なわけで。
そう考える事で目の前の聴衆に必要以上に気をとられずにすむのかなと。
また、スケボーの初心者の人が熟練者の輪の中に入って行く時に起こる「照れ」はどうしようもないかも知れません。
でも、自分がスケボーを上手になりたいという目的を思い出せば、やはり輪に入って、人の技をしっかり見るのが大切なんですよね。
つまり、照れる事に意味はないんだと、思いましたか。
いえ、違うんです。
照れる事そのものは、素敵な事だと思います。
そういう感情の揺らぎに、人は温かい気持ちになれるものだと思います。
この話は、照れる事そのものに人は注目しがちですが、その先の本当の目的を思い出す事で然るべき行動をとる事ができるかも知れないというお話でした。
先に目的がない場合は、おおいに照れるがよいです。
あのお婆ちゃんがあんなに照れたのも、彼女は「綺麗になる」のが目的ではなく、「素敵な写真を撮る」のが目的だったゆえなんじゃないかなと今は思います。
それではまた。
※ちなみに今日の話に出てきた友達のウェブサイトはこちらです。
僕と同じ、システム畑の人なんですが、最近はウェブ上での3D技術の開発(プロジェクトSIREN)をやっています。
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