先日、道路を車で走っていたら妻が「あれ、なんて書いてあるんだろう」と言ってきました。指差した先を見ると、クレープ屋さんの前に出された黒板に何か文字が書いてあります。
んー?と目を凝らして見ましたが、なんて書いてあるのか分かりません。
「只今、◯◯◯中」と書かれているらしい事はわかるのですが、◯◯◯が読めません。
それからなんとか「日より」と書いてあるらしい事が分かりましたが、いよいよ意味がわかりません。
「只今、日より中?」日和中?
夕方の時期に日和っているとは、一体このクレープ屋さんはなんなのか・・・ますます混乱してきた僕に妻が言いました。「あ、日よけ中だ」
クレープ屋さんの看板には「ただいま日よけ中」と書いてあったのでありました。
人間は文脈の中で文字を読む
遡ること数日前の佐世保もくもく会(技術関係の仕事をしている人の集まり)でクマさんが語っていた事を思い出しました。曰く
あるカフェの前を通っていたら、かき氷に黒い物が乗っている画像が見えた。
なんだろう?と思って文字を読んだら「黒蜜」と書いてあると思った。
近づいて見ると、たしかに黒蜜と書いてあったが、自分の視力ではあの文字は見えていなかったと思う。自分は結局、かき氷に黒いものがかかっている画像を見て、状況からして黒蜜であろうという推測を元に、あの文字を読んだのだと思う。
という。
ここで話を戻しますが、クレープ屋さんが夕方、看板に「ただいま日よけ中」と書いているなんて、僕は想像も出来なかったのだろうと。
クレープ屋さんが看板に書いて、人々にアピールをするだろう内容といえば「只今、一品サービス中」だとか、「只今、何々が安い」だとかそういう事だろうという先入観が、「日よけ中」という簡単な文字を読ませる事を邪魔したのだろうなあ。と、そんな事を思ったのでありました。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
文脈(状況)と文章がバラバラだと、見ている人には届きにくくなったりするものなのでしょうね。つまり、誰かに想いを届ける時にはそのあたりも総合的に考えた上でメッセージを送るとスッと受け取ってもらえるものなんだろうなあと思ったお話でした。
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