させぼの出来事を市民のみなさんにお届けするウェブメディア「させぼ通信」が一周年を迎えるということで、おめでとうございます。
その記念にということで、させぼ通信の中の人であるタケディー氏とフジムラ氏から写真を依頼していただき、撮ってきました。
場所は国見の山頂。時間は早朝。
今の時期の日の出の頃、国見の山の湖畔には、いい感じの柔らかい木漏れ日が輝いてくれます。
その光をバックに二人を撮影してきました。
タケディー氏とフジムラ氏
秋の朝日に負けないくらい爽やかな二人が撮れて、ぼくはとても満足でした。
しかし、朝の国見峠のこの湖はとても美しい。
早朝の空気が余計にそう思わせるところもあるかとおもう。
あと猫がおおくて、そいつらはとても人懐っこい。
普通、野良猫ってもっと警戒心をもってるものだけど・・・。
駐車場に戻ると理由がわかった。
猫缶を開けて野良猫たちに餌をやっているオッサンがふたり。
数匹の猫が猫缶に群がっていた。
湖畔の周りにはよく見ると、猫にあげたあとに空になった猫缶がそこかしこに放置してあった。
ぼくは怒りというより、悲しくなった。
覚悟のないその場しのぎの優しさは想像力の欠如から生まれる。
野良猫に餌やっちゃいけないって常識でしょ
いい年をしたオッサンが二人もそろって猫達に餌をやっていたからビビる。
この人たちは野良猫たちに餌をやることで、逆に野良猫達がきつい思いをするというコトまで想像がいかないのだ。
野良猫に餌をあげると、野良猫達はいっとき元気になって仔猫を産み始める。
猫は一度の出産に2〜6匹くらいの仔猫を産む。繁殖力が半端ないのだ。
仔猫が生まれたらその子達にも餌が必要になる。
子猫はすぐに成長するので、増えた群れを維持するのに必要な餌の量は加速度的に増える。
おっさんたちが気まぐれで置いていく餌じゃ、早晩足りなくなってしまうのだ。
そうなっては時既におそし、人の手で餌付けされている猫は狩りの腕前も平均の野良猫たちより下手になってしまっているだろう。
人の置いていく猫缶を頼りにしなければ生きていけない大量の猫たちは食料のない山頂で、餌を持ってきてくれる人たちを待ちながら餓死することにもなりかねない。
加えて、餌が少なくなると体温の維持が難しくなり、駐車場に停めた車のエンジンの予熱で暖を取ろうとボンネットにもぐりこむ猫なども出てきてしまう。
そんな状態で人間が車のエンジンをかけてしまって、猫が死に、車も壊れてしまうようなケースが以前取りざたされていたこともある。
つまり野良猫に餌を上げた場合、餌を上げない場合にくらべて、より多くの猫を死なせてしまうことになる可能性が高いのだ。
本当に猫達を愛しているならば、干渉しない事が一番。
どうしても可愛くて餌をあげたくてしょうがないなら、家に持ち帰って飼うべきだ。
このことをインスタグラムに投稿したら
「それ猫好きじゃなくて、猫に餌をあげる自分が好きな人。」
というコメントが入っていて、ぼくは膝をたたいた。
薄っぺらな優しさをばらまくよりも、心に決めた誰かに(何かに)それを注ぎ込むことがよほど難しく、価値のあることだと思う。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
後半話がずれてしまったけれど、させぼ通信は先日10万PV/月を達成したということで、ダブルおめでたい。
ぼくも継続は力なりという言葉を胸にきざみながら、本日もブログを更新した次第です〜。
追記(2016年11月17日)
この記事には続きがあります。
更新情報をお届けします
はじめまして。記事拝見しました。ちょっと異論がございましたのでコメントいたします。
「野良猫にエサをやってはいけないのは常識」それは違うと思います。野良猫が子供を産んで増えるのは去勢・避妊手術を受けていないから。
確かにエサをやらなければ、健康になって子供を産むことはないかもしれません。猫が大量になることはないでしょうけど、ということは、今いる猫は餓死しても良いということですか?
餌付けされた猫は狩りの腕前が下手と書かれてましたけど、猫は狩りだけでは生きていけません。それにもし狩りが上手だったとしたら、今度は野鳥が狙われ、野良猫のせいで野鳥が絶滅の危機に!ということに。(実際このことが問題になっているのもご存じないでしょうね)
おっしゃるように、エサだけ与えて掃除もしないのは、その人たちが悪いです。野良猫にエサをあげるなら責任ももってもらう必要があります。
TNRというのをご存知ですか? 地域猫を捕獲(トラップ)して避妊手術(ニューター)を施し、元の場所に戻す(リターン)活動です。現在国内では殺処分ゼロを目標にしている自治体が多くなってきています。TNRは殺処分をゼロにするための方法のひとつでもあるのです。
野良猫にエサを与えるな。このことばかり書かれてますよね。とても無責任に感じます。
野良猫がたくさんいて、エサをやっているひとがいるようだ。しかも掃除もされていない・・・見て思ってそれを記事にしただけですか?
そう思ったのなら、役所や警察に連絡してください。そうすれば、保護団体が動く可能性が出てきます。そのエサをやってるひとも指導を受けて、地域猫の保護者としてえさやりを認めてもらえるかもしれません。
それがうまくいけば、そこの野良猫は減るでしょう。誰かが捨てに来なければ。
問題視してもらえていることはありがたいですが、情報を発信する立場の方なんですから、ちゃんと調べてください。そして対処の方法なども記事にしてください。読んだ人が動いてくれるかもしれません。
何よりもこの記事を読んで、この人は猫が嫌いなんだな、って思いました。
一方的な記事に、コメントせずにはいられませんでした。私のように不愉快に感じた人も多いと思います。
今後はもう少しマシな記事を期待しております。
では、失礼いたします。
これは、野良猫に餌を与えるならば、その後も責任を持ってエサを与え続けるべきで、それができないならば(野良猫を飼う覚悟や、毎日エサを与え続ける覚悟がないなら)一時の感情だけでエサを与えるべきではない。という教訓のような事を書いてらっしゃるのではないでしょうか?わたしはそう感じましたが。
あなたがこれを見て、無責任に感じ、それに気づいたならば、ここで不満をふりまくよりも自分で役所や保護団体に連絡したらいいのにとも思いました。
「一時の感情だけでエサを与えるべきではない」
「覚悟と想像力のない行動は、状況をより悪くする可能性が高い。」
「餌を与える時には、その猫を持ち帰って飼う覚悟のある時だけだ。」
エサを与えないことに否定はしませんが、一方的にエサやりも否定してはいけません。
野良猫にエサを与えないために、作物、畜産物、ゴミ箱をあさって被害が増えたり、かえって人目を避けるようになり、TNR活動にも支障があったりします。
この問題は全国各地域、世界中で考えられている問題であり、はなちゃんのように感じる方もいらっしゃるし、一つの答えはありません。
一方的な意見の記事には、必ず反対の意見を持つ方もいらっしゃいます。「ちゃんと調べてください」という言葉にある、はなちゃんが言いたかったことがおわかりでしょうか。
それなのに、「ここで不満をふりまくよりも自分で役所や保護団体に連絡したらいいのに」と、感情的に上から目線の言い方をされることに疑問を感じます。
続編記事にあるとおり、「確かな答えはなく、慈愛と覚悟を持ってそれぞれの思いを貫くしかないのだろう。」が、変化された筆者のお考えが答えなのでしょうか。
そうです、はなちゃんが言いたかったのはそこじゃないかと思いました。