先日、僕のFacebookフィードにあがってきたリンクに興味を惹かれました。
リンク先には、きれいにまとめられたケーブルの画像がたくさん掲載されています。
僕はこういう物をみると、なんだか喜びを感じてしまいます。
美しいものは強い、強いものは美しい
以前、友人のお店の中に、スケートボードで遊ぶ為に使う「ランプ」という地形的な建造物を設置した時の事です。
骨組みは金属で頑丈に出来ているのですが、スケートボードに乗っている人が実際に体重をかける場所は、その骨組みにそって固定された、ベニヤ板を曲げて作った面でした。
金属の骨組みといえど、骨と骨の間には隙間があるので、そこにスケートボードの車輪が強く衝撃を加えると、よく割れてしまったものでした。
それで割れる度に、ベニヤ板も安いものではありませんから(一枚800円くらいだったと記憶しています)、お金がかかってしまうわけです。
しかし当時はとにかく割れた所を修復すればいいという考えでした。
割れる度にそこを後ろからネジ止めして押さえつけたり、すると別の場所が割れたりと、つぎはぎだらけで運用していました。
でもあまりにしょっちゅう割れるものでしたから、最後は割れた部分を避けて乗るというような遊びかたになったのを覚えています。
根本的な改善をしたときに現れた美しさ
あるとき、そんな状況を終わりにしようと、ランプの大改装が行われました。
これまで割れやすかった箇所を参考にして、金属の骨組みを利用しつつ、木枠を使って補強したのです。
出来上がった、ベニヤ板を支えるための木枠は幾何学的(きかがくてき)に組み上がり、見た目にも、とても美しく仕上がりました。
それを目にした時、なにか直感的に「もう大丈夫だ」という気がしたものです。
その枠の作り方が確立して以後、ベニヤ板の面が派手に壊れる事はなくなりました。
強い構造は自然と美しくなる事
「強い構造は自然と美しくなる事」
僕は、この事の最たるものが戦闘機のカタチだと思います。
その用途こそ賞賛すべきものではないですが、このカタチに込められた意思は語らずとも伝わってくるものがあります。
神は細部に宿る
「神は細部に宿る」という言葉がありますが、これは「細部まで心を込める事」という意味です。
上に掲載した美しくまとめられたケーブルも、実際のところは別に、適当に繋がれていたとしても、とりあえずはちゃんと動くことでしょう。
しかし完璧に束ねられる事によって、よりトラブルに強くメンテナンスも容易なものになります。
そして何より賞賛すべきは、あのケーブル郡を面倒臭がらずまとめ上げ、確固たるシステムを作り上げたエンジニアの美意識だと思うのです。
美しいという事はそれだけで一つの、不朽の価値を提供するものだと思います。
この美意識というのは、そのままプロ意識と言っても差し支えがないようにも思えます。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
美しくまとめられたケーブルを見た時の感動は、美しく構築されたソフトウェア・プログラムを見た時の感動によく似ています。
真のプロフェッショナルが携わる仕事はいつも美しい。
そして美しいものを美しいと感じる心が、実は一番美しいものだったりするんですよね。
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