世界遺産候補として最近話題の、長崎の教会群とキリスト教の関連遺産のおはなしご存知ですか〜?
日本のキリスト教普及の歴史
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝来、そして長崎を拠点に布教をはじめました。
彼のがんばりの結果、当時「日本の小ローマ」と呼ばれるほど、長崎の街全体がキリスト教に染まっていたようです。
しかしキリスト教は1614年に、時の日本の最高権力者、「豊臣秀吉」により信仰する事を禁じられてしまいます。
キリシタン大名とよばれる、キリスト教を信じる大名などが出てきた事によって、その影響力を無視できなくなったからと言われています。
また、宣教師たちが日本の農民を奴隷として国につれて帰ることを秘密裏に行っていた事が発覚し、秀吉が激怒したため、とも言われています。
なにはともあれ、キリスト教の弾圧は激しさをまし、それがキリスト教の開放運動である島原・天草の乱につながります。そこで反体制側のみこしであった天草四郎時貞は討ち果たされてしまい、キリスト教は息を潜めてしまいました。
それ以降、ペリー来航によって鎖国が解かれる幕末まで、キリスト教は禁教とされてきましたが、開国後、欧州のキリスト教勢力の圧力によって、日本のキリスト教弾圧は撤廃されました。
信徒発見の報
戦国時代から幕末までの長い間キリスト教は禁教とされていたため、日本においてキリスト教徒は存在しないと思われていました。
いざゼロからの布教活動のはじまりだと、フランス人宣教師が長崎に大浦天主堂を建立しました。
すると、250年の間「隠れキリシタン」としてキリスト教信仰を守ってきた人々が、教会を訪ねてきました。
そしてフランス人宣教師たちに「私達も、あなたと同じ心を持っています」と打ち明けたことによって、日本にキリスト教が受け継がれていた事が発見されたのです。
これに世界は仰天「信徒発見」と題したセンセーショナルなニュースは世界中を湧かせました。
そしてこの奇跡を祈念する意味を込めて、隠れキリシタン達が信仰を守り続けてきた集落に、次々に教会が建てられてゆきました。
これら日本でのキリスト教の普及のプロセスを示す重要な文化財が、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産に登録されようとしています。
これらが世界遺産として認められれば、長崎の観光都市としての価値がまた一つ付け加えられるわけで、非常に楽しみですね〜。
教会遺産郡の写真
という事で長崎においてにわかに教会熱が高まっていますが、僕の叔父上は旧外海町出身の人で、教会遺産群の一つである出津教会や、大野教会の写真を撮りためておられたので、その写真を今回いただいて掲載したいと思います。
出津教会
これらの写真の権利は、鶴田満氏に帰属します。
大野教会
つづいて大野教会
出津教会、綺麗ですね〜。
大野教会、手作り感が素敵です。
教会建築当時、財政状況は決して豊かではなく、ぎりぎりの中で宣教師が私財を投じて建築費用にあてたり、信徒たちが自分たちで貝殻をけずって石灰を作ったり、それはもう大変な労力をかけて作られたようです。
今みたいにクレーンもない時代でしょうからねえ。
僕は出津教会も大野教会も行った事がないのですが、近々自分の足で訪れてみたいと思いました。
なんなら教会遺産群をめぐるツアーなんかもやってるようなので、それに参加しても面白そうだなと。
外海商店
ちなみにぼくの叔父上は保険業のかたわらISOコンサルタントやファイナンシャル・プランニングなどを手掛ける才人なのですが、最近は地元の旧外海町の地産物を取り扱うネットショップを経営されています。
外海地区も本当に自然のゆたかなところですからね、町おこしのため、いろいろと資源を開拓しているようです。
特に僕が美味しいなあと思ったのは「長崎スパゲッチー」ですね。
外海地区にある工場で製造されているスパゲッティで、明治時代の宣教師「ド・ロ神父」が作った当時の製法で作られているようです。
長崎スパゲッチー:300g×10(3.0kgセット) :dorosamapasta:外海商店
もちもちした素朴な味わいがするスパゲッティで、普通のパスタに食べ飽きた、より美味しいパスタを探し求めている、という人はいちど食べてみてください。
少々値段もはりますが、おすすめできるひとしなです♪
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
それではまた♪
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