人生とはじつにゲームっぽいものであるなあと思う。
ゲームと言っても、ボードゲームというよりはテレビゲームに近いなというのがぼくの感想です。
テレビゲームをやったことがないという人は少ないと思いますが、それらの特徴として、最初はとても簡単なんですよ。
わりと最近のゲームだとチュートリアル(ゲーム操作の説明もかねた練習)モードからスタートするゲームもあります。
まあゲームをスタートして直後は大抵、「このゲーム楽勝だな」って感想をいだくわけです。
しかし、ステージが進むにつれてどんどんむずかしくなってくる。
最初はひとつのコマンドを入力するだけでクリアできていたものが、ちょっとずつ複雑なことをしないと突破できなくなってくる。
敵の強さのみならず、謎解き要素など、あの手この手でゲームシステムは、ステージのクリアを阻んでくるわけです。
そしてようやくステージをクリアして、その報酬の経験値や、新しい武器や防具を手に入れたら、また次の、更に複雑になったステージで苦労するわけです。
思い返せば、ぼくの人生もまるっきりそんな感じです。ついでに周りの人々を見渡してもそのように思います。
いつか、いまよりちょっとでも賢くなれば、有能になれれば、人生は楽になってゆくのだと思っていたら大間違いで、どこまで行っても現在のステージをクリアするには苦労がつきもののようです。
もう、これはちょっとつらいんですけど、現実なのです。
なので最近僕は、いつかきっと楽ができるなんていう幻想を抱いて生きることをやめにしようと腹を決めました。
じつにごまかしなしのリアルな話しをさせてもらえれば、生きることはそれ自体が戦いであり、戦いとは生易しいものではないのだと思います。
そして、これがいわゆる「覚悟」というもののような気がします。
ひとつのステージを超えるごとに得られる報酬に、心をひととき休ませながら、死ぬまで休み無くあゆみ続ける道、これが僕のいまの人生観です。
走って、歩いて、たまに休んでまた歩きだして、そして最後にはみんな死ぬという。
どれだけステージをクリアして、どれだけの勝利を重ねたとしても最後は必ず強制終了。
いやあ、じつに清々しいですね。人生とは、ひとときの夢のようなものだと。
年齢を重ねるごとに荘子の「胡蝶の夢」を実感する次第です。
知恵と道徳について
ぼくはひとつ、「道徳を守る」という生き方が、最近は挑戦しがいのある面白いことだなあなんて考えています。
ことわっておくと別に天国とか地獄とかを信じているわけではないです。
ただ、最近読んだ本に書いてあった「人にとって最も大切なものは知恵と道徳である」という事にぼくは真理を感じるんですよね。
知恵と道徳は一枚のコインの表裏で、不可分である。と。
知恵があるからこそ、道徳を守ることができ、道徳を求めるからこそ、知恵を得ることができる。
ぼくは知恵がほしい。
ならば、そこを求めることに損はないなあと。
もしもひょっとして天国があれば行けるかも知れませんしw
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
さてそれでは、もとめるべき道徳とは一体どのようなものだろうかというと、フランクリン氏の語った13の徳や、論語なんかが参考になるんでしょうね。
なので、 人がよく生きる為に気をつけることは、たった一つで十分ではないようです。
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