こころ

バチなんて当たらないから、思うように生きなさい

先日、妻の元気がなかったので話を聞いていると「私があんなことをしたから、バチがあたったのかなあ」と珍しく気弱な発言をしてきたので、私は驚くとともにこう思いました。

バチ・・・?バチなんてあってたまるかーい!

「バチ」ってつまり

罰(バチ)を辞書で引くと、こう書いてあります。

人間が犯した悪事に対して神仏が与えるこらしめ。天罰(てんばつ)。「罰が当たる」

なるほど、恐ろしいです。

人間よりもはるかに大きい何か圧倒的な存在が、人々の行為を断じて下す、まさに神の裁き。

ええ、ええ、自分もかつてはこういう事を信じていました。

何か悪いことがあったら「ああ、あの時あの人にひどい事を言ったからだ」なんて。

でも今は天罰とか、そういう判断を下す「絶対的な正義」的なものがあるということは全く信じられなくなりました。

人を殺すと天罰が下るのか

誤解を恐れずにいうと、人を殺すことですらも、僕は絶対的に悪いことだとは思いません。

誰かを殺したからといって天罰が起こるとは考えにくいのです。

誰かが死ぬことによって、その人がこれから食べたであろう動植物達は救われますし、その人が生涯歩くたびに踏み潰しつづけたであろう虫や草花たちは助かることになるわけで、人間が一人死ぬってことは実は多くの生き物が助かるということを意味したりもします。

たとえその人が史上まれに見るほどの聖人クラスの人物であったとしても、生きている限り必ずほかの生物の営みを邪魔しちゃったりするわけなので、ある立場に立って考えると「お願いだから殺してください」って存在だったりするわけです。

なので、神様も殺人を犯した人のことを手放しで裁くなんてできないはずなんですよね。むしろ、多くの生き物が助かったとして殺した人にボーナスを与えたりするのか?それもなさそう。

まあ無限の視点、時間、空間においてのその人の行動をいちいち採点しなくちゃいけない訳で、実質不可能だと思うんですよね。神様ならできるのか?いや、だとしても、少なくとも私達が考えても意味がない。

一人の人間を殺すことで100年の平和が訪れたりする事も考えられるわけで、その殺人が善か悪かなんて、後になってみないとわかんない。

ただ、大体の想像の範囲内でわかることは、殺した人の遺族には盛大に恨まれるだろうなあということくらいですし、実際にそうなるでしょう。あと、警察が機能していれば捕まるでしょうし、刑務所に入って辛い日々を送らないといけないかもしれません。

ただ、それだけです。

誰かに対して悪いことをしてしまった、確かにその人はあなたのことを嫌いになるかもしれません、その結果、悪口を言いふらされたりするかもしれません。

しかし、ただ、それだけ。
壁をノックしたら音が出たというのと同じことです。

バチなんて当たらないから自分の責任で好きなように生きよう

突然の不運は起こりますね。ただただ、起こるように起こります。

でも天罰ではありえません。

それが本当に良いことなのか悪いことなのかは、未来でしか分からないからです。

信心深いことは悪いことではないですけどね、あんまりそういうことを考えすぎると窮屈だよなあと。

そもそも私達の行動をすべて採点できる全知全能の神様がいたとすれば、神様が嫌うことは出来ないように作っていなさるはずですからね。私達ができることは全て、そもそも許されていると思うわけです。

まああんまり深く考えず、これは良いことだと思うことはやっていきましょうということで。大体思ったとおり、当たり前にいいことが起こります。

逆に、これやっちゃマズいよね〜と思うことは、思ったとおりのマズいことになるのでやらないほうがいいという。

あれ、なんかすごく単純なお話になってしまいましたね。すみません。

 

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コメント

  • コメント (2)

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    • kokeo
    • 2018年 11月 04日

    しかしながら、あんな事をしなければ…あんな事を言ったから…というのはその行動を起こした本人自身が心のどこかで悪いと思いつつも起こしてしまった事だということを
    考え、自らを見つめ直す時間を神様から与えられているんじゃないかな、と思う訳であります。

      • 920
      • 2018年 11月 07日

      kokekoさん あなたの中の神様があればこそ、あなたのような素晴らしい人が存在するのだと思います。

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