そろそろ冬がやってくる。
特段に冷えた10月上旬のある夜、今年初めての長ズボンをはいた。
約一年ぶり、太ももに感じるスウェットのモコモコ感が心地いい。
俺はスウェット布を撫でながら思った。
「今年の冬も無事に越せると良いが」
子供は風の子
冬の寒さの厳しさが年々増して行ってるように感じるのは、考えたくはないが老いのためだろうか。
半自動的にいつしか下の毛も生えそろい、随分な時間が経ってしまった。
風のやつも私の事をかつての子だという事はすっかり忘れた様子で容赦なく冷風を浴びせかけてくる。
最近はファッションなぞにはほとんど興味を持てなくなってはいるものの、以前にもまして断熱と防風に優れた布地に興味をそそられるようになっているのは、こういった理由のためだろう。
ただ分厚くて暖かいならドテラでもいいのだが、さすがにドテラはちょっと・・・という、まだぬくもりだけの為には捨て身になりきれない自分もいる。
きみは自転車泥棒〽
秋〜冬にかけての朝の通勤には自転車を!という、忘れえぬ想いと相談した結果、どうやらマウンテンパーカーというものが良さそうだと思い至った。
マウンテンパーカーは雨風を防ぐのに優れた素材で作られた外套用の洋服で、襟元の布は長く、首周りからの風の侵入を防いでくれるし、雨に降られてもフードをかぶればしばらくは持ちこたえる事が出来るだろう。
そうと決まってからはネット上で良さそうなマウンテンパーカーを探しているのだが、暖かく、かつ丈夫な奴という条件で検索を続けているうちに、「山岳部隊」「軍事用」と言ったものばかりを意識している自分に気づいた。俺はヒマラヤにでも行くつもりか・・・否。
我ながらこうなるのも無理はないという思いが胸にあった。
実は以前にも一度、マウンテンパーカーを購入した事があったのだった。
ネットを使って5,000円程で購入したのだが、届けられたダンボールをわくわくしながら開け、包みをいそいそと破いた時、俺は小さく悲鳴を上げた。
あまりにもぺなぺなした布地のそれは、水をはじきそうな気配は一切なく、むしろ吸水性に優れていそうであり、すその所を縫ってあった糸は既にほどけかかっていた。
しょんぼりしながらもそでを通してみると、丈がやや短く、腹、腰回りはほぼ無防備である事もわかった。
買ってしまった手前使わないわけにもいかず、ひとまず一日着てみたところ、すぐに右ポケットに穴があいた。
自動販売機からコーンポタージュを買ったお釣りの380円がポケット穴から残らずこぼれ落ち、恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらアーケードのど真ん中で無様に小銭を拾い歩いた屈辱は今なお記憶に新しい。
そのポンコツ極まりないマウンテンパーカーは深夜、誰もいない山の中で燃やしてやった。
というのはさすがに嘘ですが。
同じ失敗を恐れるあまり、絶対的安心感のある「軍事用」「ミリタリー規格」というキーワードに引き寄せられるのも無理からぬことだろうと一人で納得。
「軍事用」「ミリタリー規格」でなくても良さそうなものもいくつか見つけたが、出来れば直接布地を触り、縫製を確認してから買いたいものだという気持ちを新たにした。
そこで妻を誘ってお隣の市である大村市の「西海岸」という古着屋さんに向かった。
実に土地柄に相応しい名前が付けられたその店には大量の古着が安く置いてあり、ミリタリー物の取扱もある。
それらの生地のさわり心地と断熱、防風性をたしかめ、あわよくば購入しようという狙いだった。
ぬぐいきれないガチ感
「西海岸」店内奥側のミリタリー物コーナーに行ってみると、男たちの血と汗の匂いを感じさせる重々しい迷彩柄の服たちが、ところせましと己の丈夫さを主張していた。
いざ実際に目の前にしてみると、ガチ感が半端ない。
「俺たち、軽さ快適さは二の次でとにかく破けない事を誓います、オス!」
といったおもむきである。
これらを着たならば確かに丈夫さと安心さを得られるだろう。
しかしそれと引きかえに、街なかで警官から職質をうける確率は飛躍的に上昇するだろう。
極地では頼りになりそうだったが、普段使いには明らかに不向きそうであった。
早まってネットで購入しなかった事に胸を撫でおろしつつ、一般服のコーナーを見に行く。
80〜90年台に作られたのであろう、浮かれたショッキングピンクや蛍光色のパーカーの色が目に刺さる。
生地は大抵シャカシャカしており
「わたし突起物に引っかけるとすぐに破けますからね」
というきわめて軟弱な気配を放つものだった。
こんなうわついた奴らにデフレスパイラルを生き抜く俺の背中は任せられない。
もはや何の未練もなく店を後にした。
※西海岸さんはよくお世話になっている実に素晴らしい古着屋さんです。
秋来たりなばエビ遠からじ
傷心の私はいつしか「春野屋うどん」に流れ着いていた。
うどんより蕎麦派の自分にとって、この店はとてもおすすめで、ここの蕎麦が大好物なのです。
暖かい、素朴さを感じさせるダシがささくれだった心に優しくしみた。
午後4時ごろの入店だった為、他の客はおらず、店の中には私が蕎麦をすする音だけが響いた。
蕎麦に乗せられたえび天を食べ終え、残った尻尾を盆の上に置いた時、突如静寂が途切れる。
「お盆の上に食べ終わったエビの尻尾を置くのは汚いのでやめろ」
おでんを食べていた妻からの指摘であった。
ナプキンの上に置くならまだしも、直接お盆の上に置くのは汚らしいからエビの尻尾は盆には置かず、どんぶりに入れたままで蕎麦食いを続行しろという事らしい。
俺だってエビの尻尾をお盆に直接置く事には多少の抵抗があったが、この店のテーブルにはナプキンの用意がなかった。
そもそもお盆はエビの尻尾が置かれようと置かれまいと、どのみち一度は拭くなり洗うなりされる事だろうし、俺はエビの尻尾を気にしながら蕎麦を食べたりスープを飲んだりしたくはないんだよと妻につたえた。
「それを見たら嫌な気持ちになる人もいるよ!」
そう言われても、じゃあ蕎麦を食べるあいだ中、どんぶりに隠れひそむエビの尻尾を間違って飲み込みやしないかというストレスに晒される俺の気持ちはどうなるというのか。
いちど情けをかけて尻尾たちを野に放てば、こいつらは容赦なくゲリラ戦を仕掛けてくるだろう。
私は断固とした気持ちで2匹目のエビの尻尾をお盆の上においた。
妻はスマートフォンに目線を落としたまま、こちらの方を見ようとはしない。
俺は無言でスープを飲み終えた後、お盆に転がったエビの尻尾たちをどんぶりに戻した。
目頭が熱く、鼻水が止まらないのはスープが熱かったからだろう。
支払いをすませて店を出ると、外にはこの秋一番の、ひときわ冷たい風が吹きぬけていた。
俺は車のウィンドウを開け、火照った頬に風を感じながらアクセルを踏んだ。
どんなマウンテンパーカーが良いのか、エビの尻尾の処理はどうしたらよかったのか。
答えは未だわからぬままに、大村湾は今日も美しくきらきらと夕日に照らされていた。
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