モノゴトの意味は、見る角度のかずだけ存在しています。
見る角度というのはそれこそ、水平方向に360度、垂直方向に360度、さらに1度きざみというワケでもなく、そのパターンは無限です。
一つのことがらから得ることのできる意味は無限にあるものだと思うのです。
薄いカベから伸びている杭が邪魔だからといって、その杭を叩いてカベに埋めこんだとして、
カベの反対側にまわれば、杭を埋めこむ前と同じ状況になっています。
じゃあなぜ、人はカベに杭をうちこむのかというと、その人の『こだわり』がそうさせるのだと思います。
『こだわり』
このガンコさを感じさせる響き、ぼくは、けっこう好きです。
でもこれは、ある方向からしかモノゴトを見ないという決意のようなものです。
そういう決意が、その人を形づくるその人らしさになるのだと思います。
もしも『こだわり』を持たなくてすむなら、人は怒らずにすむでしょう。
でも人は、それを完全に手ばなして生きる事が、どうやらできません。
好きであればあるほど、気に入っていればいるほど、光を当てれば当てるほど、その裏がわに影は濃くおちます。
影が落ちないように、全ての角度から光を当てれば、モノゴトはまっ白になって消えてしまいます。
どちらが正しいというわけでもなく。
結局、どう照らしたらいちばん楽しむことができるのかってことだけを考えるしかないんですよネ。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
大人になるにつれて少なくなってきた僕の『こだわり』のもたらす影。
それを見ると最近は、怒るというより、かなしかったり、さびしい気持ちになる事が多くなったような気がします。
こだわらないというこだわりっていうのもあるんでしょうか。
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