お正月間際なので今日は掃除関連について話してみたいと思います。
僕の最近の大きな目標は「いつも部屋をきれいに保つ事」です。
そのために掃除の習慣を付ける事を心がけている最近です。
なんだか歳をとったからなのか、最近は自分の生活の基盤である「部屋」が汚いという事にますます耐えられなくなってきました。
部屋の乱れは心の乱れって昔からいいますよね。
これはつまり楽器で例えるとチューニングの様なものだと思います。
あるべき所にあるべき物がないという状態は、楽器のチューニングが狂っている状態とよく似ていると思います。
そんな状態で活動、楽器で言えば音楽を奏でた所で、いい結果が出るわけがないという事です。
僕は、人間とは、自然とは、突き詰めれば音楽の様なものだと思っています。
かんじんなことは、目に見えない
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ
「星の王子さま」、岩波書店、サン=テグジュペリ 作、内藤濯 訳
「星の王子様」はおそらく人生の様々な段階において、読む度に印象の変わる本だと思います。
最近、僕は「見えないもの」に対して特に敏感に心を働かせるようになっている気がします。
いわゆる形而上学(けいじじょうがく)と言うのでしょうか。
見えるものの理屈は大抵分かってしまった様な気がした結果、見えない物について思考をする楽しさを身につけてしまったのかも知れません。
つまりこれは、演奏それ自体よりも音に集中する事が出来るようになったという様な事なのかなと思います。
演奏をしている人は目に見えますが、実際にそこから放たれる音を目で捉える事は出来ません。
チューニングの狂った楽器を使っても、それらしい演奏をする姿を見せる事は出来るでしょうが、かんじんなのはそこで鳴っている「音」なのだという事です。
演奏をする人の姿が熱狂的であればあるほど、その姿は滑稽に見えることでしょう。
ものすごく真剣な顔をしたロックンローラーが汗もぬぐわない激しいギタープレイで「屁」の様な音を奏でている姿を想像してもらえると笑えると思います。
これは受け取る側も試されるという事で、目に見えないものを正しく判断しようとするには、まず自分の中の調律が定まっている必要があるという事です。
良い音楽はまず基本として正しいチューニングから。
自分が発する音について敏感である事が出来れば、身の回りの全ての物や人も大切に扱う事が出来ると思います。
これに気づく為にずいぶん長い時間をかけましたが、つまりそういう事だと思います。
2016年は更に調律と調和の成った自分でいることの出来るように過ごしていきたいとおもいます。
究極の所、人間って、そうあるだけで美しいのだと思うんですよね。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
それではまた。
更新情報をお届けします
この記事へのコメントはありません。