日記

永遠は瞬間に達してループする

先日読んだ本の中に書いてあったことに驚かされました。

そこには「世の中にありがたい事なんてひとつもない」と書いてあったのです。

ぼくはずっと「人は常になにかに生かされているのだから感謝しなさい」と聞いて生きてきました。

ぼく自身もそれは正しいことのように思っていました。

しかし、そこに書いてあったことはそれを真っ向から否定するような言葉でした。

ありがたい事はなにもない

人の日常の行動というのは、およそほとんどが周囲の人間も含めた自分を生かすためのことです。

だからたとえば自分に報酬をくれる人は、生きる為の手助けをしてくれる人だという事で感謝します。

またたとえば、生きる理由をくれる人の存在に感謝します。

あるいは、明日を生きる活力をくれる食物に感謝をします。

しかし、究極に論理的に考えれば、それらはすべて無意味です。

なぜならぼくらも、ぼくらの大切な人も、どのみち必ず死んでしまうからです。

ぼく自身、死ぬことそれ自体は怖くないのですが、死ぬ前に感じなければいけないであろう、まさに死ぬほどの苦しみって言うのが怖いなと思います。

それに、楽しかった思い出や、ぼくが情熱をかたむけた何かなど、長い時間のなかでいつか全てなかったことになってしまうのも怖いのかも知れません。

それを避けるために日々生きているし、大切な人をそんな辛い目にあわせたくないから少しでも助けになりたいと思っているのですが、最終的には確実に、ぼくらは落ち着く所に落ち着いてしまいます。すなわち死です。

このことは、人間はみんな究極的に平等であるということを示唆しているようにも思えます。

正直、こんなことを今更考えているのは僕だけなのかも知れません。

みんなこんなことはとっくの昔に承諾済みで日々を生きているのかなあとも思って、わざわざ書くのもどうかと迷ったのですが、僕のなかで、やはりひとつの衝撃を感じたので記しておこうと思いました。

だから人は永遠の何かをもとめるのだろう

仮に上に書いたとおりであれば、「魂」や「想い」のような、目に見えない、永遠に存在する何かがなければ、生きることは全くの無意味に思えます。

だから人はときに「永遠の神」とか「永遠の魂」という存在を信じようとするのだなあと。

実際、ぼくも「想い」のちからというのを多少なりとも信じていますし、上のようなことを考えたあとにもやはり、ぼくを支えてくれる人たちに対しての感謝の気持ちは消せるものではありませんから。

本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。

ぼくはよく死ぬことについて考えますが、決して病んでいるわけではないと、自分では思っていますw

そのことを意識してはじめて、本当に笑えるというか、笑うしかないというか。

結論、ぼくたちには今この瞬間しかないのだと、改めて思い知ることが出来る気がするのです。

 

この記事が気に入ったらいいね!しよう
🍀

更新情報をお届けします

スポンサーリンク

関連記事

  1. こころ

    実験してみた。人の目を見て緊張する人は、本当に鼻を見ると良いのか

    僕は、思うのです。人と人が相対した時、その人の事が好きだなあと…

  2. 日記

    ぼくの夏休みだった

    最近は車がないので、朝から自転車で通勤しています。とちゅうで公…

  3. 日記

    もっと身も心も軽やかになりたい。心にしたがって取捨選択するという事。

    どうもこんばんは。もう今年も残り一週間なんですね。最近は今年こ…

  4. こころ

    怒りを感じた時に唱えるとよい、最強のコトバ

    最近は怒ることについてよく考えています。http://gira…

  5. 日記

    ネガティブな事には同じだけポジティブな要因が潜んでいる。

    先週大阪にいたんですが、さすがは「くいだおれ」発祥の地でありました。…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

スポンサーリンク

  1. 教育

    子供に何かを強いてはいけない。僕の水泳のおもいで。
  2. 日記

    焦らず一歩一歩を踏みしめながら大切な物を拾ってゆく2016年にしたい。
  3. 日記

    どの角度から見るかがすべてだと思う話
  4. 日記

    まっすぐのまなざし
  5. 白黒写真をはじめたいと想います
PAGE TOP