8月の10日に福岡市に移ったので、明日でちょうど半年が経つことになります。
今日は日曜日で、今、実家のある佐世保市から帰ってきました。
福岡市は便利で、色々なものが揃っていますが、なんだかんだ実家を離れる時にはわずかの寂しさのようなものを感じます。
この感情もいつかは無くなってしまうのか。
ホームシックという意味では2ヶ月目くらいが一番そういう気持ちになることが多かったのですが、今はずいぶんましというか、そういう気持ちは少しずつ薄らいでいます。
佐世保のことを書こうとした時に、「地元の・・・」と頭に浮かぶのですが、佐世保と福岡、正しくはどちらが自分の地元なのだろう、と思って手が止まります。
今回の帰省では、前の前の会社の大先輩と一緒に、義父のレストランで酒を飲むことができて、とても楽しい時間を過ごすことができました。
他にも一緒に遊びたい友人はいるのですが、移動だけでも結構時間がかかるし、それで疲れてしまうし、で、そういう意味では前よりも時間が貴重になってしまったような気もします。
それが果たして吉と出るのか凶と出るのか。
これまでより、もっと誰かと過ごす時間を大切にできるようになっていくのかもしれませんし、そもそも時間なんぞ大切に扱わない方がよくて、ただいたずらに過ぎてゆく時間に身を任せる方が結果としてうまくいくのかもしれないです。
最近、世界の歴史を扱った話題を提供してくれるコテンラジオというPodCastのコンテンツを聞くのが楽しみになってきているのですが、その中で一つ興味深い話がありました。
中国は科挙などの制度を発明し、国家の運営を非常にうまくやったため、とても長く繁栄を続けることができたのですが、反対にヨーロッパは中国に対して封建社会システムが未熟だった、というようなことがあったらしいです。
封建社会システムが完全な場合、民は生産性ということを考えないらしいです。全ては王様に搾取されてしまうので。
逆に封建社会システムが未熟な場合、税を物やお金で支払うという権利を民が勝ち取ったりして、そこで初めて生産性を意識することになり、そんなこんなでイギリスで産業革命が起こり、中国はイギリスに負けてしまった、と。
完璧にうまくやっているはずが、逆にそれが原因で滅びてしまう、ということが歴史のなかではあり得るわけですね。
というわけで、まあ何がよくて何が悪いのかなんて、考えるだけ無駄だな、ということを最近は思うことが増えてきました。
とにかく、大切なのは自分の情熱を傾けることのできることを探して、取り組んで、納得のできるように過ごして、心軽やかであるように生きるだけかな、と。
そんなことを思っている、今日この頃です。
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