最近Facebookのタイムラインに回ってきた文章。
みんなしってる吉田 兼好さん、またのなを兼好法師(けんこうほうし)といわれる700年以上前のひとのことばに感動しました。
能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。
天下のものの上手といへども、はじめは不堪(ふかん)の聞こえもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。けれども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士にて万人の師となること、諸道かはるべからず。
これを現代のことばになおすと、下のような文章になるらしいです。
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。
どんな世界でも同じである。
700年前の『徒然草』を現代語訳したら…現代人にも突き刺さるいい話だった! – grape [グレープ] – 心に響く動画メディアより
700年以上前から、こんなにするどい事を言っている人がいたんですね。
ぼくはおっしゃるとおりだなと思いました。
ちっぽけなプライド
多分、新しい事をはじめる時にいちばん邪魔になるものって、プライドだと思います。
何者でもない人間ほど、このちっぽけなプライドにしがみ付きたくなっちゃうんだと思います。
今までやってきたこと、ちいさな実績にあぐらをかいてしまう。
新しいことをはじめると下手だから、上手くやれない自分を見せたくないからやらない。
僕も、そうです。
かたちばかりを気にしていました。
ほんとうに大切なことは、目にみえないのに。
だから最近は「プライドすてたいなあ」と思いながら日々をすごしています。
死ぬまでにどのくらいの恥しらずになれるのか、これ、けっこう大事なことなのかなと思います。
ひとは人生のたびびとならば、たびの恥はかきすてという言葉をしんじることもまた、ゆるされるのではないかな。
本日もG線上のキリンにおこしいただきありがとうございます。
いまふとおもったけど、キリンってひらがなの方がいい気がする。
ビバ、G線上のきりん
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