あるところに一人の男が住んでいました。
男は男の住む村の長で、村には彼の家族と、たくさんの仲間が住んでいました。
男には3人の子供がいて、一番下の子はまだ生まれたばかり。
彼らは幸せに暮らしていました。
しかしある夏、村を洪水が襲いました。稀に見る長雨で、近くの川が氾濫してしまったのでした。
秋になり、いつもは十分な実りをもたらす小麦畑でしたが、今年は全員が冬を越せるだけの収穫が得られませんでした。
仲間たちはみんな不安そうな顔をしています。
男は「なんとかなるさ!」とみんなを励ましましたが、すぐにでも何か手を打たなければならない状況です。
翌日、男は仲間たちと相談して、隣の村に助けを乞うことにしました。
隣の村の長に会いに行ったところ、隣の村長はとても申し訳無さそうに、うちの畑も長雨にやられており、同じく今年、十分な食料はないんだと語りました。
男は肩を落として村に帰り、このことをみんなに話しました。
ほとんどの者は男の無事な帰りを喜びましたが、ある者は男を無能だと罵倒しました。
冬はもう、すぐ側に迫ってきていました。
村は数世代前から農耕に依存していたので、狩りの腕を持つ者はわずかでした。
寒さが増すにつれ、狩りの対象である森の動物たちも減っていきました。
一日、また一日と村全体が寒さと飢えに包まれていき、ついに母乳が出なくなった妻は子どもたちを憐れんで泣くのでした。
村の仲間の家族たちももう限界でした。
隣の村の対応を悪し様に言う人々の声が日増しに大きくなっていきました。
そして男はどちらを選ぶかの決断に迫られていました。
隣村の人々の命か、自分の村の人々の命か。
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多分こういうこと歴史の中でいっぱいあっただろうなあって思うんです。
現代では保存・運搬技術が発達していますので、一年や二年の不作では冒頭の物語のような状態にはならないと思いますが、世の中の大抵の争いは、大なり小なりこの仕組みになぞらえて起こるような気がします。
すなわち仲間を取るか、仲間以外を取るか、っていう。
みんなが十分に食えるだけの状態であっても、さらなる豊かさを求めた争いが起こったりもするのでしょう。
一方に争う気が全くなくても、火の粉が降りかかれば払わないわけにもいかないということもあったり。
だから私は、人間が人間を愛し、そして死んでしまう存在である限り、人間の社会から争いがなくなることはないんだろうなと思ってます。
大好きなあの人のことを見殺しにするわけにはいかない。ってね。
あの人のことが嫌いだから、ではなく、あの人のことが好きだから、の気持ちで人は戦ってしまうのだなあと。
それってなんか、いい話な感じがしちゃうところもまた危うかったり。
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とはいえ現代において戦争が起こる確率はとても低いと言われています。
かつては土地に付随する油田などを奪えば十分な富を得られたのですが、今やGoogleやAmazonなどの、テクノロジーの産み出す富がはるかに大きく、それは武力で奪うことが難しいからです。
狂った独裁者による捨て身の攻撃については、依然その可能性を排除することはできないのですが…。
それよりも差し迫っては、内乱やテロのほうが可能性高いんじゃないかなって思います。
先日、新型コロナにともなう政府の給付金で食料品を買うと答えた人が30%にのぼるというアンケート結果があって。
それを見て私は、給付金の10万円で食いつなぐ人が日本には30%(約3,600万人)くらいいるのかなと思いました。
今後さらに新型コロナウィルスによって日本の経済が後退したとしたら、その人達が命を賭けて戦う人になってしまわないか、なんて。
第二次世界大戦から75年が経ち、世界のあり様はずいぶん変わりましたが、しっかりと時代のステージに合わせた問題が用意されている世の中ですね。
とてもじゃないけど簡単とは言えない状況が続きますが、しっかり目を開いて生きてゆかねばと思うしだいです。
どうもみなさん、本日もG線上のきりんにお越しいただきありがとうございました。
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