社会

果たして技術は人を幸せにしたのか、という問いへの1つの答え

最近、長く自分の中にとどまっていた考え方が大きく変わったのでここに記しておきたいと思います。

私はずっと、技術が人を幸せにすることはないと思っていた

これについて最も適当な例を言えば携帯電話だろう。

携帯電話、後にスマホとなるものの便利さは今更語るまでもないと思うが、とにかくこいつの登場で社会は一変したと思う。

調べたいことはすぐに調べられるようになったし、これまであったいくつものデバイスをひとまとめにして手のひらに収めてしまう。

それは、カメラだったり、音楽プレイヤーだったり、手帳だったり。

しかし、これの登場によって人間は幸せになったか?と言うと、それは違うんじゃないか?と。

ある個人によっては幸せになった人もいるかとは思うが、人類全体の幸福には寄与していないのではないかと思っていた。

スマホは便利なことに違いないが、その利便性に対する代償をきっちりと要求することも確かだからだ。

ある人はSNSのいいねの通知に気を取られて、本来ならばもっと集中できたかもしれない目の前のもっと重要なことを見落としてしまうかもしれない。

ある人は見知らぬ人のSNSの投稿をダラダラ見て無為な時間を過ごしてしまうかもしれない。

すぐに調べ物ができるが、これはスマホを持っている人全員(ほぼ人類全体)が享受するメリットであるので、そこに個人の競争優位は生まれない。

要するにこの便利さというのはよく切れる包丁みたいな類のもので、正しく使った場合には効力を発揮するが、そうでない場合は大きなデメリットも生じうる。

よって、人間というくくりで言えば自らを幸福にするという意味でスマホを正しく使える人と、正しく使えない人がそれぞれ半々くらいに存在するとして、人類全体の幸福にはつながっていないのだろうなと思っていた。

しかし、その考えが最近変わった。

乳児死亡率という指標

乳児死亡率とは生まれてから1年の間に死亡する乳幼児の比率のことだ。

日本は乳児死亡率について世界で2番めに低い。

この乳児死亡率、ある場所や時間において、人類の幸福度を測定する方法として使われるらしい。

この考え方は、個人的にかなりしっくり来る。

乳児死亡率を下げようと思えば、医療技術はもちろん、電気、通信、道路などのインフラの状態や、更には治安や国民性など社会のあらゆる面でのレベルの高さが求められるのは想像できる。

先日、子供が熱性痙攣を起こしたときに救急車を呼んだのだが、その時の体験は自分の中で非常に価値のあるものだった。

とにかく、救急システムのその洗練された運用に感動した。

電話をした時点で住所を伝えて、その後に子供の症状を説明するのだが、説明する間にすでに救急隊員は現場に向けての移動を開始しており、電話をかけ始めた時点から本当に5分ほどでこちらに到着してしまった。

利用する側としては簡単に整えられているこれらのやり取りの裏側には、膨大な人々の技術の開発、改善、保守、運用の歴史がある。

これらの歴史がいつから始まったのかと言えば、おそらく人間の社会が狩猟採集から農耕にシフトした時点だと思われる。

農耕によって得たもの、失ったもの

人間は農耕を始めたことによって科学を発展させることができたと言われている。

農耕は余剰な食料を生み出すことができ、それがもとで労働者と非労働者が生まれ、非労働者は生活に直結しない長期的な研究ができるようになった。

ただ、農耕ももちろん良いことばかりではなく、人間はたえず農作物の様子を気にしなければならなくなった。

また、蓄えられるようになった富は戦争の火種になった。

つまり農耕という技術革新も現在のスマホと同様、人類に対して強烈なメリットとデメリットをもたらした。

しかも一旦農耕に進んだ社会レベルは、それ以前には戻れない。

大きくなりすぎた人間の群れは、それ以前の狩猟採集生活ではもはや支えきれず、農耕を放棄することは群れの仲間の餓死を意味することになったからだ。

近代における乳児死亡率の改善

上記のことから私は、人類は狩猟採集をやっていたレベルでとどまっていたほうが幸せだったのではないかと考えるようになった。

しかし既に述べたとおり、農耕が始まっていなければ現在の技術は存在するべくもなく、乳児死亡率は中世の頃に確認された50%~30%の状態が現在まで続いていたと思われる。

対して近年の乳児死亡率の改善はめざましく、昭和14年までは生まれた子どものおよそ10人に1人が1年以内に死亡していたが、現在の日本では生まれて1年以内に亡くなる子どもの数は500人の内に1人だ。

参照:
中世の生き残った幼児
人口動態100年の年次推移
乳児の死亡率の実情をさぐる(2020年公開版)(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース

これは子を持った親としては、なんと心強い数字かと思うだろう。

そして私は、人間が技術を獲得するまでの苦労や後悔、人間が技術を生み出したゆえに起こった色々な悲しいこと、それら全ては現代の乳児死亡率の低さという形で昇華されたのだなと考えるようになった。

人間のこれまでの選択は間違いではなかったし、これからも技術を追求するべきであるし、それが今後きっとより多くの命を救うことに繋がっていくはずだと、今は心から思うようになりました。

本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。

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