本日紹介する楽曲は完全に懐メロで、私がまだ幼い子供の頃に親が聴いていた曲だ。
窓に西日の差しこむ頃、この曲を聴きながら母親が洗濯物をたたんだり、夕飯のしたくをしてくれていた。
子供の頃にリビングで流れていた曲が、自分の原風景と結びついて、ひょっとすると人生観を形作るのかも知れない。
よい曲は時代をこえてずっと良いものだとおもう。
これは私の直感だけど、もう「頑張る」時代は終わったのだと思う。
いかに頑張らないか。
これが新しい時代の生き方だとおもった。
誤解される事を覚悟の上で言うが、努力なんて必要ないのだと思う。
とにかく、たのしく、たのしい方向に向けて今を生きる事がわたしたちに求められている事のように思う。
若干32年しか生きていない自分だが、32年間は生きる事ができた。
その人生を振り返った時に、頑張って手に入れた物なんてろくなものがなかった気がする。
人生の役に立つものは全て、今の私を楽しませてくれるものはすべて、楽しんでいる内に自然に与えられたものなだけの様な気がする。
何かの世界の一流でやっている人は頑張っているのか
これは完全に私の予想なのだけれど、おそらく頑張っていないのだとおもう。
もっと乱暴に言ってしまえば、頑張って一流の人は所詮二流なのかもしれない。
いづれすぐに、一流のステージから降ろされてしまうのだろうとおもう。
人間一人が頑張ることの限界なんて、きっとちっぽけなものだ。
私のフェイスブックのタイムライン上で頑張っているなあと思う人の投稿がたまに視界のすみにはいるが、幸せそうには見えない。
頑張るから争いが絶えない
頑張るひとは頑張っていないひとを頑張っていないことを理由にせめたてたりする。
そうすると、頑張っていないひとは頑張る人の気持ちにあおられて頑張ってしまい、そこに争いが生まれるのだと思う。
20世紀は世界中でみんなが頑張りすぎたのだとおもう。
そして今も頑張りすぎている人たちが自爆テロなんてやってしまうのだとおもう。
がんばりの先にあるのは更なるがんばり
がんばってがんばって、その先にがんばらなくていい世界があるのだろうか。
たぶん、がんばってがんばってたどり着いた場所はがんばらないと立っていられない世界なんだとおもう。
私は最近まで、我々はとにかく頑張る為にこの世界に生まれてきてしまったのだと思っていた。
しかし今はそうじゃない世界がある事を、なんとなくの直感として感じている。
それならば、私は頑張らない世界が存在する事に賭けてみたい。
がんばらずに立てる世界を探したい、なければこの手で作りたい。
がんばる事なく、全てが調和して、経済的にも時間的にも自由な世界を私は強く欲している。
頑張らない年2016をめざして
私はすでに頑張ってしまっていて、今の場所に立ってしまっているのだと思う。
これまでの人生でがんばる癖がついてしまっているので、この癖を抜くのにはやはり時間がかかってしまうのだろう。
これから少しずつでも、確実にもっと頑張らない生き方を目指して歩んでいきたい。
自分をもっと緩ませて、グッドなヴァイブスの2016年にしていきたいなあと、2015年の暮れに思いました。
私はこの方法で上手く行くかどうか実験してみたいとおもいます、上手く言ったら大きな声で皆に「頑張らなくていいんだよ、とにかく楽しい方にいけ」と言いたいとおもった。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございました。
それではマタンゴ
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