こころ

複雑極まる価値観のるつぼ時代を生きる、僕らに必要な心構え

師走の時期、また忙しい現代社会でありますから、まずは結論を述べさせていただこうと思います。

「賞賛されたり、けなされたりする事で大げさに喜んだり悲しんだりしない心を育てる。」

というのが肝要だなあと思うのです。

不自由の時代があったこと

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江戸時代の頃、日本にはまだ身分制度があったといいます。

教科書で習った士農工商ってやつですね。

この頃の人々には職業選択の自由がありませんでした。

農家の子はずーっと農家だし商家の子はずーっと商家。

現代の人の感覚で言うと、それはちょっと頂けないって事になるかと思いますが、当時はそういうルールだったわけで。

これはこれで結構、当時の人々はそれなりに満足だったのではないかと思うのです。

生まれてから死ぬまでレールに乗って生きていけば良いわけで、余計な事を考える必要がなく、楽だという側面もあったのじゃないかと。

その時代、レールに乗り続ける事が重要であり、そうであればわりとみんな自分を認めてくれるわけですので。

「お上の作ったルール」という錦を掲げる事で、胸を張って思考停止していられたわけです。

転じて現代の僕らには、当時としては考えられないほどの圧倒的自由が用意されています。

自由って素晴らしいのは間違いないんですが、これはこれで難しい側面も持っているものだなあと。

自由がもたらす弊害

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例えば写真を撮る事でみんなに認めてもらいたい人が居るとします。

一口で写真と言っても、人を撮ったり、野生動物を撮ったり、景色を撮ったり、そのジャンルは多岐に渡ります。

一つのジャンルで認められたとしても、別のジャンルの人から認められることは少ないでしょう。

また一方には音楽が好きな人々も存在しますし、そもそも芸術の類にまったく興味のない人も多く存在します。

そしてそういう多様な価値観がインターネットを通して見えやすい時代です。

つまり、現代は物事のジャンルが細分化してなおかつそれらが俯瞰(ふかん)しやすい時代であるという事が言えます。

これは、非常に人が迷いやすい時代であるものだなあと思うのです。

一人の人間の承認欲求を支える人間の数が、過剰に分散した結果、供給量が減少しているという意味でですね。

人は一人の時よりも、かえって大勢の人のいる時の方が寂しさを浮き彫りにしやすいものだと思います。

同じことが、現代社会の中においては起こりやすいものなのではないかと感じています。

人は皆寂しがりやであるという事

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僕は寂しがり屋だし、たぶん、そこについては大なり小なり皆もそうだと思うんですけど。

これはなぜかというと、人類の進化の過程の中でその様な人々が生き残ってきたからです。

もっと突っ込んでいいますと、寂しがり屋でない人々は、遠い昔にみんな死んでしまったのです。

現代は文明が発達し、社会制度も安定していますので、感情を抜きにすれば人はわりかし一人でも生きてゆけます。

でも人類の原初の時代、厳しい自然の中で人の群れからはぐれて行ったものは高い確立で死んでしまったでしょう。

「一人で生きるのが平気です」という心を司る遺伝子はこの頃、ほぼ絶滅したのではないかと推測します。

結果、現代には孤独を感じると不安(不幸)になるような素養をもった人々が集まって暮らしていることになります。

この孤独ゆえに感じる不幸というのは理屈が通用しないという点において、ものすごく厄介です。

遺伝子に刻まれているのでもうどうしようもない。

孤独、即不幸です。

これが人が感情の生き物であると言われる由縁なのだと思います。

僕らは感情の力で生きているという認識

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僕らはせいぜい生きて100年。

どんな偉人ですらも死後100億年も経てば、その人が存在した証は宇宙の中のどこにも残らないでしょう。

今生きている人々は全員、微粒子レベルまで分解されて宇宙の中にばら撒かれます。

いずれ僕らみんなそうなる運命でありますから、それが100年後であろうと今この瞬間であろうと、誤差に過ぎません。

感情を抜きにすれば、皆今すぐに死んでしまっても結果にはなんの影響もありません。

ではなぜ僕らは生きるのかというと、文字通り死ぬほどの苦しみを出来るだけ先延ばしにしたいという感情と、人々が相互に持ち寄る「あなたが死ねば私が寂しい」という感情によるものだと思います。

その気持ち、感情に支えられて人は生きているようです。

心の中に作り上げた他者の目の事

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いずれにしても僕らはなるべく孤独を感じないですむように生きるべきだろうと思います。

それは具体的には「道徳を守る」という事に帰結するのかなあと。

先日、有名な芸人である「ノンスタイルの井上さん」という人がタクシーを相手に車の当て逃げをしてしまったらしいです。

酒でも飲んでいたのでしょうか。彼は逃げるべきじゃなかった。

これまで「いい人」であるという社会的賞賛を受けていた彼でありますので、当て逃げ犯になってしまった落差は相当のものでしょう。

多くの人の期待を裏切ってしまった、その結果そっぽを向かれてしまうかもしれないという幻想から来る孤独にさいなまれ、これからしばらく相当に不幸を感じるだろう事が予想されます。

そう、全ては心の中で起こっている幻想なんですよね。

これまでに会ってきた人々を自分の心の中に虚像として再構築する事によって、自身で作り出した「他者の目」というものに縛られて僕らは生きているわけです。

僕たちが生きられるのは僕たちの意識の中でだけ

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問題はこの「他者の目」というのが、他ならない自分自身を直接構成する要素でもあるという事です。

相対的な存在である僕たちは物事を「差(違い)」でしか認識できない為、自分を認識するために他者の存在が不可欠です。

つまり自分の中に常に「他者」は存在する事になり、それが作り出す幻想である「他者の目」から見た自分の行動が好ましいか好ましくないものかという基準で、自分の事を好きになったり嫌いになったりするのですね。

実際他人が何を考えているのかなんて正確に把握する事なんて不可能で、例え夫や妻を目の前にしていても、自分の中の彼、彼女を認識する事しか僕らにはできません。

つまり究極的なところ人は自分基準で生きるしかないし、それしか出来ないという事ですね。

何がいいたいのかというと、他者の目なんて言うものは全て自分が作り出した幻想である事は理解しておきつつ、しかし自分の中の「他者の目」に胸を張って生きられるように生きるしかないという結論に至るわけです。

道徳と法律さえ守っていれば、他人の賞賛やこき下ろしは気にしなくて良くなる

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僕の中での道徳というのは、生き物の生きるべき道=自分の嫌な事は他の生き物にもしないという程度の事です。

しかしこれに加えて、ついでに社会の法律もしっかり守った方がよりシンプルに生きる事ができるという事も付け加えておきたいと思います。

つまり自分自身の行いに胸を張れていてなおかつ、法律も遵守して日々を生きているなら誰かに非難されたとしても気にする必要がなくなるという事です。

それでも非難、批判される事もあると思いますが、それはもうどうしようもない部分の批判であると、すっぱり割り切れる事ができるものだと思います。

例えば「オレ最近世界一周旅行してきたんだ」という人が居たとして、僕はたぶん羨ましくて嫉妬してしまうと思います。

ですが、世界旅行が普通のレベルの人にとってみれば「いいよね世界旅行、オレも来週から行こうかな」くらいな感じで嫉妬が起こる事はないというワケで、物事の印象というのは発信する人と受信する人の立場によっていかようにも変化するという事です。


これは物事それ自体は常に無色透明である事を意味しており、どんな色をつけるかはそれぞれの人がそれぞれの立場で決めています。

つまり、自分自身と法律に誠実に生きてさえいれば、他人の批判について全て「立場の違い」という事で完全に捨て置くことができるという事です。

僕たちに出来ることは今この瞬間に集中する事だけであること

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かくして余計な事に思考をわずらわせる事なくシンプルに目の前の問題に集中して対処できるようになるものだと思います。

僕らの人生には本当のところ、過去も未来も存在するという確証がありません。

それらは脳内で起こっている幻想であり、本当に「在る」と言えるものは「現在」だけです。

大切な事なので改めて言います。

僕らが確実に世界に関わる事が出来ると言えるのはたった今、この瞬間のみです。

だからこそ余計なノイズに惑わされる事なく、今この瞬間に集中できるよう身辺を整えておく事が大切な事なのではないかと思います。

その姿勢はもしも未来があるとするならば、人生のクオリティをあげる事にも自然と繋がってゆく事と思います。

さて、ようやく話を最初に戻すことができますが、まとめると

・道徳を重んじて
・法を遵守する

という人格を完成できた時に、

賞賛されたり、けなされたりする事で大げさに喜んだり悲しんだりしない心を持てる

のだろうと僕は思うのです。

そしてその時、完全に現在に集中する事ができるようになるのかも知れません。

本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。

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最近は日々生きる中で「シンプルである」という事について、とても気を配っています。

これは決して簡単ではなくむしろ恒常的に瞬間の苦しみをともなうものですが、痛みを越えてでも物事を明確にしておくというのは非常に大切な事だという気がしています。

複雑に糸が絡まった状態のままでは、人は目の前の仕事に集中することができないと思うからです。

長くなりましたが終わり!



余談ですが、写真用のウェブサイトの方も最近大量に更新しましたので、よかったらご覧ください。

920's Portfolio

 

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