タクローツアー
大日本帝国陸軍により建設された、佐世保湾の防備を目的とする要塞の跡地に行ってきました。
この小首堡塁は山頂にあり、山の上から遠距離大砲射撃をするために作られたという事でした。
1900年につくられたものらしい。
車によって登るのはかなり難しい。道は狭いし、落ち葉でタイヤが空転します。
僕らは車を山腹に停めて、徒歩で登りました。
今日のパーティーは男3人
歩いていると人工の石垣が見え始めてきた。自然は容赦なく侵食していました。
そこから更に歩くと門扉の後が見えてきた。このレンガの組み方はフランス式と呼ばれるものらしく、フランスの軍を参考にしていた旧日本軍の歴史を感じられます。
ついに到着。するとそこには乗り捨てられた車が。ネット上で以前の資料を見てみると、まだ屋根があるものがあった。年月が経ったことで屋根が吹き飛んだのだろうか。驚異的です。タクローは「台無しだよ!」とプンスコしておりました。
丸見えのエンジンルーム。
初めて車の中身をまじまじとみました。メカメカしい。
さて本題の設備遺跡。この入り口には木製の扉があったのだろうという事で、なかには砲弾などを貯蔵していたのでしょう。
複数棟が並んで立っています。
地下に掘られた倉庫もあるのですが、そこに下るまでの階段が多くの堆積物によってべちゃべちゃの坂道と化してしまっていて、下れませんでした。
ここがおそらく、湾内の監視に使われていた場所であるだろうという事で。
眼前のヤブは当時存在しなかったのでしょうね。
これがなければ湾内を見渡せるのでしょうか。ちょっと想像がつきませんが。
自然は容赦なく侵食していますが、旧軍の建築物は非常にクオリティがたかかったようで、いまもがんとしてその形を保っていました。
100年以上も前から、ここには水滴が落ち続けているのでしょうか。
山道には蛇もたくさんいました。
さらに場所を変えて佐世保湾の入り口にあたる半島へ。
僕がすきな感じの海へせりだしている場所を見つけました。
先っぽに建てられている電灯がにくい。夕方に電灯が灯るころ人に立ってもらって撮影してみたいですね〜。
あざみがきれいに咲いていました。
さてこの柱ですが、これは何に使われていたものだと思いますか?なんとなんと、海峡を隔てて網の端っこをかけるために作られたものとのことで。なんでそんな事をするのかというと、湾内に潜水艦がはいってくるのを防ぐ為だったらしいんですねえ。
佐世保にはこのような旧軍の遺構がおよそ700点存在しているらしく、そのほとんどは現在も軍の管理下におかれているらしいですが、この様にすでに軍籍から外され、管理下にないものもたくさんあるようです。
佐世保ならではの遊びですねえ。
本日もG線上のきりんいおこしいただきありがとうございます。
「タクローツアー」は山に分け入りヤブを踏み越えて進む過酷な遊びです。今回もけが人が出ずによかった!
それではまた♪
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