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前回の続き…
朝4時半、寒さで目が冷めた。
付近ではトラック野郎たちのアイドリング音が低く響いている。
私達は結局ホテルに泊まる事をあきらめ、近場の温泉に入ったあと、適当に選んだ最寄りの高速道路上のサービスエリアに車を停めて車内で眠ったのだった。
もう眠れそうもなかったので車外に出ると、夜明けの気配を運ぶ風が気持ちよかった。
とりあえずコーヒーでも飲むかとサービスエリアの店舗に向かうと、薄明かりのなか「宮島」と書いてあるのが見えた。
宮島ってあの?
という事で、図らずも我々は宮島、別名「厳島」の近くにいることが分かったのでした。
レジでコーヒーを2杯買って、車に戻るとまだ眠っていた妻をゆすり起こして、片方のコーヒーを渡した。
「宮島が近いらしいから宮島に行こう!」
そう言うが早いか、車は宮島に向けて走り出したのでした。
宮島へのフェリー乗り場へ到着
宮島はその名の通り島であるので、船で渡る必要があった。車のナビは連絡船が出入りする港の場所を指している。
付近の駐車場は示し合わせるかのように(実際に示し合わせているのだろう)一日千円という価格を高々と掲げてあるのだった。
港には既に結構な量の車が停めてあり、これが全部千円になるのか、と駐車場の一角にまとまって停まっている車をいくつか数えてみてすぐにやめた。
連絡船の乗船チケットは思いのほか安く、往復一人360円とかだったと思う。
チケットを購入し、私達は宮島に渡る人たちの列に並んだのだった。
見えてきた宮島
久々の乗船に興奮していたが船旅はすぐに終わった。
例の大鳥居を横目に、船は15分くらいで宮島の港に到着した。
島に上陸すると、先程見えていた大鳥居のある方向にむかって人々が流れ始めたので、我々もその流れに便乗して呆けた顔をしながら歩き始めた。
海際の道をのんびり歩く。日差しは強い。
さすが観光地なだけあり、建物の色や作りはすべて統一されており美しかった。
なんて事を考えながら正面に視線を戻すと、茶色いかたまりが三つ、2〜3メートル先に並んでいた。
犬と鹿2匹だった。
おお、さすがは宮島よ、これが噂の、本当に鹿が…と感動して手を伸ばそうとした時、となりの立て看板に気がついた。
「鹿達は野生の鹿なので、触れたり、餌をあげたりしないでください」
世間的に言うと良い大人であるところの私は触りたい気持ちをグっとこらえて、ガードがら空きで寝そべっている鹿を振り切った。
前評判では鹿達はかなり人間にたいしてシツコイという話を聞いていたのだが、鹿達はまるで人間達など見えていないかのような素っ気なさであちこちに佇んでいた。
例の大鳥居
ついに到着した大鳥居はさすがにデカかったが、まあ何度も写真などで見ているしな、という感想。
しかし驚いたのはこの大鳥居、別に地盤に固定されているとかではないという事。
ものすごく乱暴に簡単に説明してしまうと重しを乗せて沈めているだけらしい。
詳しくはこちら
広島県宮島・厳島神社(大鳥居)の建築理由と建築様式・建築方法 | 厳島神社-御朱印
ほお、すごい、そんな昔から沈めていても大鳥居は腐らないのだ。
と感心したのもつかの間、わりとちょくちょく建て直しをしているらしく、そりゃそうだよな。という気持ちになった。
しかし設計自体は建立当時にされたものだろうし、昔の人の頭のよさも相当なものだなあと、頭の悪そうな感想を覚えたのだった。
せっかくここまで来たのだからという事で、本殿(有料ゾーン)にも入った。
本殿内はとても雅な感じでよかったのだけど、そのなかでも一際目を引いたのがこれ。
橋なのですが、ものすごい反りを見せていました。
おそらく当時の誰かがギャグで作ったのだろうなあと思われるその反りっぷりに思わず笑顔。
この橋を渡ろうとして滑ったひと、ころんだ人、数々のけが人を生み続けたであろうこの橋に秘められたエピソードを想像せずにはいられませんでした。
最後は、妻が同僚からこれだけは必ず食っておけと言われたという「揚げもみじ」を食った。
店の半分は完全にオートメーション化されている、もみじ饅頭工場がガラス張りで見学できるようになっており、歴史的建造物を眺め終わった後に見るその機械機械した感じは、過去と現代の日本人の知恵が入り交じる絶妙な特異さを演出していた。
揚げもみじ自体は本当に美味しかったので皆さんも宮島に行った際にはぜひご堪能ください。
その後は子どもたちが思いきり鹿達に触ったり餌をやったりしているのを見ながら帰りのフェリーに乗り込み
帰りは秋吉台というところで記念撮影して
博多に寄ってラーメンを食い、私達のGWは終わったのでした。
おわり
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