瞑想やってみた
さいきん、少々変な話なのですが、風呂に入るときに瞑想をしてみる事にしています。
そもそも瞑想ってなんだって自分自身、謎だったのですが、Googleで調べると以下のように出てきます
瞑想とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
ほうほう、なるほど、よくわからん。
呼吸を数える
という事でもうちょっと掘り下げて調べてみると、どうやら呼吸を数えてみると良いらしい。
「ハーン。楽勝っすね。これは即瞑想マスターの予感。」と思って風呂の中で呼吸を数え始めてみると、出るわ出るわ雑念の数々。
ちょっと皆さんも一回やってみてもらいたいんですけど、呼吸数えるって、簡単なようで至難のワザです。
呼吸を数えているうちにすぐに別の事を考え始めてしまいます。
そうすると思考がいつのまにかどこかに漂流してしまい、「ハッ!呼吸!?」という具合で全然心静まりません。せいぜい半寝って感じです。
今この瞬間にフォーカスする
1週間くらいそういう日々を送っていたのですが、ある時本の中で「今ここに集中する」という文言が書かれているのを見て、なんとなくこれを瞑想に応用してみようと思いました。
呼吸を数えるのではなく、「今ここ」に極限まで集中していきます。
時間の流れを分割し続けるうちに、「今」の厚みがどんどん薄くなっていきます。
それに伴って体に触れるお湯の水面の感覚や、外から聞こえる鳥の鳴き声なんかがとてもクリアに感じられるようになっていきます。
風呂の窓の外の様子が感じられるようになってきます。雲の上にある月の様子が浮かびます。
そして分割され続けた「今」が極薄に達した時に、なんだか宇宙にぽっかり浮かんでいる感じを得たんですよね。
ああ、これかなって感じでした。
知覚のリソース
たぶん、僕らは過去や未来の事を考える事に、自分の知覚のリソース(資源)を大幅に割いているのだろうなと思いました。
つまり、後ろや前をみながら同時に足元を見るというのは難しいという事です。
本当のところ過去は既になく、未来はまだ存在しないにも関わらず、これまでの人生経験にもとづいて過去の延長線上の未来を予測し続けているわけですね。
たぶん、このシステムはおおいに僕らの日常生活に役立っているのでしょうが、これによって「今この瞬間」というものは犠牲になりがちであると。
左脳と右脳
過去からの経験を元に未来を予測するのは主に左脳の役割らしいです。左脳は直線的に情報を処理します。
右脳は、それとは逆に並列的に情報を処理します。
様々な情報のかたまりを神経系からいっぺんに受け取って、その情報を左脳に投げて、有益そうな情報をピックアップして、経験に照らし合わせて、未来を予測するのです。
右脳と左脳の役割にについては、以前もご紹介したのですが、この動画が詳しいです。見たことがない人は是非どうぞ。
スポーツなんかやってたら結構「今」に集中できたりするんじゃないのかなあと思うのですが、それは確かに「今」であると同時に、野球やサッカーであれば追っているボールであったりするわけで、僕が浴槽の中で感じたものとは少し違う気がします。
今の今の今に触れる体験は僕の中で非常に興味深い体験でした。
皆さんも、もし良かったら静かな、誰にも邪魔されない場所で試してみる事をおすすめします。
それは集中力のその先なのか、はたまた夢の世界だったのか。
本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。
それではまた♪
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