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行政がやっている宿泊助成金を使って地元で有名なリゾートホテル「弓張の丘ホテル」に泊まってきた。
弓張の丘ホテルは、弓張岳という山の上に立っている。
弓張岳は高さ346メートルの佐世保を代表する山の一つで、私も幼いころから親しみの深い山であるが、一般的に高さ346メートルでは山というには小さすぎるのだろうか。
弓張の丘ホテルは、弓張岳は山ではなく、丘であるという立場をとっているようだ。
単純に、弓張の山ホテルよりも弓張の丘ホテルの方がオシャレな感じがするという理由も大きいだろう、そしてきっとかつてはこの山から名のある武将が弓矢を放ったりしたに違いない、などと考えているうちにチェックイン作業が完了していた。
通された部屋には三畳ほどのベランダがあり、そこからはSSKにドック入りしている地球深部探査船「ちきゅう」が見えた。
夜はここで夜風にあたりながら酒でも飲むか、と思った。
ふと時計を見ると、もう夕食を予約していた時間になっていた。
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蟹との夕べ
私が今回、このホテルに宿泊を決めた理由は2つあった。
1つ目はここで友人が働いていること。
2つ目は蟹が食べ放題ということ。
私は蟹のことが好きだが、これまで蟹の食べ放題ということをしたことがなかった。
私にとっての蟹とは、祖父母の家で過ごした正月そのものだ。
年に一度、今は亡き祖父を中心とする一族が祖父母宅にあつまり新年の始まりを祝った。
その時に出される食材が蟹であった。正確に言うと、蟹の爪部分だった。
なので私は蟹の足を食べることに関しての経験がこれまでほとんどなかったのだった。
勝手のわからない蟹の足と格闘する私に対して妻は
「蟹の足の関節を逆に折ればいいとよ」
「蟹の足の節の柔らかいところがあるからそこをハサミで切ればいいとよ」
と蟹のお母さんにはとても聞かせられないような指示を的確に飛ばしてくる。
私はといえば指示にしたがって折る蟹の関節から溢れ出るカニ汁が全くの制御不能であり、それを妻に飛ばしていた。
通常のディナーコースに加えてレモンステーキや寿司も食べ放題だったので、結局蟹は二皿しか食べることができなかった。
しかし今回、もう食べなくてもいいと思うくらい蟹を食べられたので本当に良い経験ができた。
ただ、ディナーコースの最後に出てきた肉巻きについては今も謎のままだ。
写真を撮り忘れてしまっていたことに今気づいたが、完全に墨汁のエキスを肉で巻いたような味がしていた。
つうの味と言えばそうなんだろうが、私の舌にはまだ早すぎたのかも知れない。
部屋に戻った私たちは満腹のため全く動けなくなり、もはやあの素敵なベランダに出る気力もなく即寝た。
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人生で最高のマクラとの出会い
翌朝、目覚めると首の位置がこれまでになくいい感じだったので驚いた。
そういえば昨晩眠る時にマクラに感動したことを思い出していた。
仰向けになっても横向きになっても頭とベッドの隙間にぴったりハマる。
早速マクラカバーを引っぺがしてマクラのタグを見たところ、マルハチプロというメーカーだった。
すぐに自宅用に注文した。
ようやくこれだというマクラを見つけられたことで、今回の宿泊は私の人生にとって大きな意味を持つことになった。
その後いそいそと着替えを準備し、大浴場へ。
ここの大浴場のお湯はわざわざ平戸近辺から温泉水を汲んで運んできているらしい、つまりちゃんとした温泉なのだ。
とはいえ私は泉質について何も語る術をもたない。ただただ、いい湯加減だった。
むしろ特筆すべきはサウナの方かも知れない。
ここのサウナは広さこそないが、他のサウナのようにテレビやラジオなどの雑音がない。
朝の静けさの中で自分の皮膚を伝う汗の感覚を味わうことができたのは僥倖だった。
水風呂も、赤の他人と二人で入ると間違いが起こりそうなサイズではあったが、その温度は実にちょうどよかった。
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朝食後の歓談
朝食を食べて、プールのある中庭を一回りしてからテラスで一休みしようと向かったところ、すでに先客がいて「新婚さんですか?」と話しかけられた。
おばあちゃんの二人組で、長崎市の自宅のリフォームの間、こちらに滞在する予定なのだという。
二人は7人姉妹の長女と三女で、長女の人はすでに齢90を数えるということだった。
彼女たちの生まれは旧満州国の玄関口、大連。
あの戦争に負ける前の中国大陸での日本人の暮らしぶりを聞かせてもらった。
曰く、大連はものすごい大都市だったこと。
そしてそこではやはり日本人による中国人差別が横行していて、そのため戦争に負けるやいなや、中国人たちがものすごい勢いで手のひら返しをしてきたこと。
だれも戦争に負けるなんて夢にも思ってなくて、天皇陛下による敗戦を告げる放送を泣きながら聞いていた人を見たこと。
ソ連兵が勝手に家に入ってきて略奪して行ったこと。
年頃の乙女たちは坊主頭にしたうえで顔にススをつけて性別を隠したこと。
大連においては日本人で労働する者はおらず、戦争に負けて着の身着のままで日本に帰り着いたとき、百姓の人が田んぼで作業をしているのを見て「お父さん、日本にも中国人がいるんだね。」と言ってお父さんに怒られたこと。
貧しかったが惨めな思いをしたことはなかったこと。すべては心の持ちようだと学んだということ。
今は、良い時代だということ。
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たった一泊の滞在でしたが、かなり密度の濃い時間を過ごさせていただきました。
佐世保で最も有名なリゾートホテルのうちの一つである弓張の丘ホテルには、前々から一度宿泊してみたいと思っていたので、その思いが果たされてよかったです。
いいマクラにも出会えたし。
佐世保市の宿泊助成金は結局対象外になって、最初の思惑からしたら総額6000円割高になってしまいましたが、いいんだいいんだ!
ということで、皆様におかれましても佐世保にお越しの際には弓張の丘ホテルを選択肢の一つとして持っていただければと思います。
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