エッセイ

昔ちょっとだけ狩人になりたかった

以前僕は、狩人になりたいと思っていた時期があった。
猟銃を手に野山を駆けまわり、鳥や獣を撃ち殺して食べたいと思っていたのだった。
自分自身、魚よりも肉が好きな事もあり、新鮮な肉を自分で調達できるという事に大きな魅力を感じていた。

しかし最近は考えが変わってしまった。

僕の行動原理の中核をなすものとして「自分がされたら嫌な事は他人にもしない」というものがあるのだけれど、最近は僕の意識の中の「他人」という、この枠の中に虫や動物も入ってきはじめているからだろう。

このような変化が訪れたのは、脳の中には感情を司る、大脳辺縁系というものがあるという話を見てからだと思う。

この大脳辺縁系というのは脳のもっとも古い部位の一つであり、生きるために必要な本能的な感情を出す為に使われているらしい。

大脳辺縁系 – Wikipedia

そしてこの大脳辺縁系というのは哺乳類にはもちろん、鳥類や魚類にも存在する。

よって、おそらく「生きたい、死にたくない」といった感情は動物達も人間と同様に感じているのだろうと考えられる。というよりもむしろ、動物たちの方がより強い激情を感じている可能性もある。

我々人間は古い脳である大脳辺縁系を、論理性を司る新しい脳、大脳新皮質によって包み込む事で感情を抑制しているが、動物たちは人間に比べてそれが著しく小さい。

昆虫たちはまた脳の仕組みが全く違うらしいが、追いかけると逃げるところを見ると、やはりどうやら死にたくないらしい。
生きたいと願う気持ちは、何かしらの差はあるとしても、全ての生物に共通の物のようだ。
であれば可能な限り殺すのはやめよう、と思い至った。

毎日数え切れないほどの家畜や、養殖や野生の動物達が人間の為にと命を奪われている。
そんな現実を横目に、肉が大好きな僕はしょっちゅう動物の肉を食べている。

そんな状況で「何をきれいごとを」と言われても仕方がないとは自覚しているが、せめて僕自身は動物を殺さないで居たいと考えるようになった。

肉も魚も、店に行けばいつでも買える。
それらの動物たちの失われた命はもはや戻ってこないので、それはありがたくいただきたいと思う。

しかし自分の快楽の追求の為に、死ななくてもよかったかも知れない動物達の命を手にかける事はもう、望めないと思うようになった。

本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。

ある動物は殺さなければ増えすぎてしまって困った事になる。
と言われてしまったら…それに関しては難しい。

「人間が増えすぎたので、あなたを間引きします。」なんて、
言われたくない僕は、言葉に詰まるだろう。

 

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