エッセイ

生きることは苦しみであるという真理。べつに悲しくなんてないんだからね!

初期仏教が面白くて引き続き色々と調べているんですが、お釈迦さますごい…。

僕は生来の怠けものなので、ずっと幸せを探しながら生きている節があったんですよ。

そんな僕の幻想をぶち壊す、面白い一説があったので、ちょっと今日はみんなにも見てもらおうかと思って…。

※今現在、心の弱っている人は見ない方がいいかも知れないっすね…。

お釈迦様の語る真理

手塚治虫の著した「ブッダ」を見たことがある人ならわかるかと思うんですが、ブッダは若いころ「なんでこんなに生きるのってきついの?」って思って、この苦しみから逃れる術を探求するために恵まれた生活なにもかもを捨てて、出家をするのです。

もともと王子様だったのに、嫁も子供も捨てて、真理の探求をするために、お坊さんとしての道を選んでしまうわけです。

そんなこんなで幾年月。

ついに悟りを得たブッダが語ったことについて、当時のブッダの使ったパーリ語という言語で書かれた本(仏典)が出来上がりました。

その中にブッダが生涯をかけて得たこんな真理が書いてありました。

生きてるものは、なぜうごく?

生きるものと死んでいるものの違いってなんでしょうかねー。

色々あると思いますが、端的にいうと生きているものは動いていますし、死んでいるものは動きません。

これは宇宙の端っこまで行っても、生き物に関する定義として間違いないものでしょう。

なんでも、生きてるものは動いています。

さて、生きてるものはなんで動くのでしょうか。

答え:止まっていると苦しいから動きます。

座っていると楽ですが、そのうちきつくなってきて立ちたくなってきます。

立ってしばらくすると、やっぱりきつくなって座りたくなってきます。

こんなに時間のかかるものでなくても、息は吸って止めると苦しくなるし、吐いて止めるとなお苦しいのです。

つまり、生き物の体の中にもともと「苦しみ」がしっかりプログラミングされているわけですね。

苦しみに尻を叩かれて肉体は言います「動け、動け」と。

ぼくら生きている、動いているということは、苦しみをごまかし続けることなのだというわけです。

あなおそろしや。

お釈迦様は、苦しみをごまかすために、別の苦しみに飛びつきつづけることが生きることとおっしゃったのです。

でも僕は幸せを知ってるから!ご飯を食べるときは幸せだから!

はい、例えば空腹のとき、苦しいですね。

ご飯を食べると美味しいですね。

ああ、幸せです。

でも食べてるうちにどんどん辛くなってきます。

あ、このあいだのバイキングで美味しい食べ物に囲まれてホクホクしていたのに、時間が経つにつれてお腹が膨れてきてなんだか悲しい気持ちになったのを思い出したぞ。

まあこんな感じで食べ続けることも苦しみになるし、お腹がいっぱいになることもまた苦しみなんですね。

さて、じゃあ上で感じた幸せってなんでしょう。

この一瞬の幸せだけは本物に違いない!と思いたい!

これについての仏教的な考えかたはこうです。

この幸せは例えるならば、人が向こうからやってきて突然ぼくのことを殴ってくることと似ています。

思いっきり殴ってきたそいつは、殴ったあとで、あれこれ世話をやいてくれるのです。

「軟膏ぬりましょうか?カットバン貼っときましょうか?」

ぼくはいいます「いやいや、お前がそもそも殴ってこなけりゃあこんな事にはならなかったんだよ、このスットコドッコイが。」と。

僕らがいう「幸せ」っていうのは、殴ってきた相手に優しくされているようなことと同じだと。

ああほんと、その通りですね(怒)

とまあ怒りたくもなるんですけどね、怒ってもしょうがない。こういう仕組みになっているのだから。

幸せは儚い。

文字通り、人の世の夢なのですなー。

生きていることは苦しみであるということが言えるなら、逆も言えるんじゃないか。

物事にはすべて2面性があるからして、生きることが苦しみであるということであれば、逆に幸福が人生だとも言えるのではないだろうか。

そう思う人はいるかと思いますが、残念ながらこれは成り立たないように思えます。

だって、どんなにごまかしても本当のところ、ぼくら自身わかってますもんね。人生いいことばかりじゃないって。

単純に、息を止めたら苦しくて苦しくてものすごく辛いですけど、それで息ができたからって幸せーってはなかなかなれないですー。

ぼくたちの根底には本能としての、死への恐怖が備わっていて、やっぱりそこから逃げ続けているのでしょう。

生きることは辛い。だからどうした

ぼくらどのみち生きていかにゃあならんのです。

ということで、この真理を知ったところでやることは変わらないんですけど、やっぱり心構えっていうかね。

そういうのが違ってくるような気がしますよ。

仕事を続けるのは辛いけど、やめて仕事がなくなってもどうせ辛い。

孤独は辛いけど、大勢も辛い。

勉強するのは辛いけど、勉強しないのも辛い。

どのみち辛いのですけど、どういう辛さがお好みですかって話で。

あ、ぼく5辛でーってカレーの話じゃないですよ。

どうせ辛い(つらい)ので、まあできることを精一杯やりましょうって話ですねー。

人は人の役に立ってなんぼです。

そんでもって結局は、ずっと幸せなんてありえんのです。

苦痛が紛れるほんの僅かの時間に、幻想としての幸せが立ちのぼるだけのようです。

本日もG線上のきりんにおこしいただきありがとうございます。

べ、べつに悲観してるわけじゃないんだからね!

ぼくはいつも、納得できる本当のところが知りたかっただけなので清々しい気持ちですなう。

生きることが苦しみであるということを知ることで軽やかさが生まれるというのはなんとも不思議なものですねー。

ちなみにお釈迦様は悟りを得たことで、この苦しみから逃れることが出来たというワケですが、、その悟りを得るために使った方法は、ものごとをありのままに見るという瞑想を極めた結果だったとのことです。


ブッダ、子供の頃に読んだことがあったんですが、ちょうど一年くらい前に見返してやっぱり面白かった思い出。

ブッダと一緒にキリストも楽しみたいかたはこちらがおすすめですよ!

 

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